ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＥＰＩＳＯＤＥ８ 「ＨＩＳ ＦＩＳＴ」
ＳＣＥＮＥ１
リュウイチの研修も一週間を過ぎたある日のこと……。
患者の診察が終わり、カーターはカルテを書くと、
「リュウ、点滴を頼むよ」
と言った。
「先生、僕まだ点滴したことがないので、できません」
「あ、そう。じゃあリディアに習って。僕は次の患者をみてくるよ」
「よろしくお願いします」
「いいわよ。じゃあ、まず……」
２時間後、再度カーター。
「リュウ、点滴して」
「先生、僕まだできません」
「えっ！さっきリディアに習っただろ？」
「でも、まだ自信が……」
「……わかった。じゃあマリク、教えてやって。僕はもう行くよ」
「よろしくお願いします」
「よし、じゃあ……」
「マリクさん、針を刺す手前まで、僕にやらせてもらえますか？」
「ああ、いいよ。やってみな……。よし、いいか、よく見てろよ。針を刺すときは、慎重に。でも、思いきりよくいかないと、かえって患者は痛い思いをするんだ。でも、思いきりやりすぎて、血管を突き破っちゃだめだぞ」
「はい」
さらに１時間後、またまたカーター。
「リュウ、点滴……」
「先生、すみません」
「リュウ……これで３回目だ。いい加減に覚えなきゃ」
「すみません」
「ヘレエ、頼むよ。やれやれ、次に行ってくる」
「よろしくお願いします」
「気にしなくていいよ。カーターだって、最初はできなかったんだから」
「ヘレエさん。僕、自分でやってみるので、だめだったら代わってください」
「おいおい、俺はどうなるんだ」
患者が抗議の声を上げる。
「ごめんなさい。でも、絶対無理はしません。お願いします」
「……まあ、いいか。がんばれよ」
「……入った！」
「よかったね、リュウ。でもあんた、できるのにさっきどうしてカーターにあんなこと言ったの？レジデントに無能だって思われたら、損するのは自分だよ」
「でも、僕、無能だし……」
「そんなことないよ。医学生をたくさん見てきたけど、あんたはなかなか筋がいい」
「ありがとうございます」
「もうちょっと積極的になりなさい、リュウ」
「はい」
「なにはともあれ、俺は助かったな」
「御協力ありがとうございました」
次の日、交通事故の患者が運び込まれた。
「点滴を入れて」
「僕にやらせてください！」
「リュウ、大丈夫？」
「はい、カーター先生」
「よし、じゃあやってごらん」
「……できました！」
『……あっという間だな、速い……』
その場にいた誰もがそう思った。ヘレエがリュウイチにウインクをする……。
ＳＣＥＮＥ２
ある日のこと、リュウイチはウィーバーの監督のもと、ディック・バトワースという９歳の少年を診察していた。
「学校で友達とけんかしたんだ」
「どこが痛い？」
「左手」
「このあたり？」
「痛いっ！」
「ごめんね……左上腕部の写真が必要……口の横が切れてるし、目の周りもはれてるね……このあたりは痛い？」
「あんまり……友達に殴られたんだ……」
「他にどこを殴られたの？おなかとか？」
「おなかは殴られてない！」
「ふーん、そうなの」
リュウイチはウィーバーの顔をちらっと見た。ウィーバーが小さくうなずき、ディックの父親に声をかけた。
「バトワースさん、書類を書いていただかなくてはならないので……。アビー、バトワースさんを受付へお連れして」
「さあ、ディック。ちょっとシャツをめくって、おなかと背中を見るよ」
「おなかや背中は殴られてないって、僕、さっき言ったじゃないか！」
「うーん、でも、けんかしてるときは夢中になってるから、君が覚えてないだけで、殴られてるかもしれないだろ？ちゃんと調べなきゃ。はい、シャツをめくるよ」
リュウイチは息をのんだ。ディックの背中と腹部には、新しいものから古いものまで、青あざがたくさんあったのだ。
『やっぱり思ったとおりだ……父親がやったんだな』
「ディック、あざがいっぱいあるね」
「だから友達とけんかしたんだってば」
「パパに殴られたんじゃないの？」
「ちがうよ！パパはそんなことしない！友達が殴ったんだ！」
「そうか、ごめんね。……じゃあ、レントゲンを撮って、またここに戻ってきて。アビーさん、お願いします」
「さあ、坊や。行きましょ」
「ウィーバー先生、僕は父親による虐待だと思います」
「私もそう思うわ」
「警察と児童局に連絡します」
「ちょっと待って、リュウ。何を聞かれても、本人も父親も虐待を否定するにきまってる。そうなると、父親は逮捕されないわ」
「それじゃあ、あのまま帰すんですか？」
「そうするしかないのよ。くやしいけど……」
ＳＣＥＮＥ３
「ドクター・ウィーバーです。お子さんのけがは、左上腕部の骨折と……」
リュウイチはバトワースを仔細に観察した。背が高くやせ型で、物静かな雰囲気を漂わせている男だった。子供に暴力をふるうなど、外見からは想像もつかない。
「パパ、ごめんなさい。もう僕、けんかしないから……」
「……この子の母親は亡くなっていて、私とふたりぐらしなものですから、男手ではいろいろといきとどかないところがあるみたいで……。情緒不安定というのか、よく学校でけんかをするらしいんです」
「では、ギプスを巻きますので……」
「ウィーバー先生、ちょっといいですか？」
リュウイチはウィーバーを廊下へ呼び出した。
「リュウ、あなたの気持ちはよくわかるけど……これはどうしようもないことなの」
「先生、精神科のドクターと、ソーシャル・ワーカーを呼んでください。僕、やってみたいことがあるんです」
「リュウ、いったい何をするつもりなの？あなたは医学生です。勝手な行動は許しません！」
「先生や病院にご迷惑をかけるようなことは、絶対にしません。どうかお願いします」
ＳＣＥＮＥ４
精神科から部長のカール・デラードと、ソーシャル・ワーカーのアデール・ニューマンがやってきた。
「僕が今からやることを、黙って見ていていただきたいんです。お願いします」
リュウイチはふたりを治療室へ招き入れた。中ではウィーバーがちょうどギプスを巻き終わったところだった。
「どうもお世話になりました」
「ちょっと待ってください。バトワースさん！あなたはディックを虐待している！」
「何を言うんだ！」
「隠してもだめだ！証拠はちゃんとあるんだ！自分の子供を虐待するなんて、最低だぞ！」
リュウイチはバトワースの肩を突いた。バトワースは大きくよろけてたたらを踏む。
「何をする！」
バトワースはリュウイチを突きとばした。派手な音を立ててリュウイチが床に転倒する。
「これは、失敬……」
バトワースはあわててリュウイチに手を差し伸べた。
「パパ、ごめんなさい！」
リュウイチは床に座ったまま、自分の顔を腕でかばい、子供のような高い声で叫んだ。
バトワースの身体がびくんと震える。なおもリュウは叫び続けた。
「ごめんなさい！パパ！許して！」
ウィーバーは、ディックをそっと自分の脇に引き寄せ、肩を抱いた。
「ちょっと静かにしていましょうね……心配しなくても大丈夫よ」
バトワースはリュウイチの胸ぐらをつかみ、殴り始めた。
「ごめんなさい！パパ！僕を殴らないで！」
バトワースのこぶしが何度もリュウイチの顔面を襲い、何発もの蹴りが、胸や腹に入った。ウィーバーが止めに入ろうと近寄りかけた時、リュウイチがバトワースの腹に頭突きをくらわせた。バトワースはしりもちをつく。
「……パパ、ごめんなさい……やめて……僕を……僕を……殴らないで……」
そう言うと、バトワースはすすり泣き始めた。
リュウイチはふらふらと立ち上がった。
「リュウ！大丈夫？」
「……大丈夫です……ディック……」
リュウイチはしゃがんで、ディックの目を見ながら言った。
「君のパパは心の病気にかかってる。パパが君を殴ったのは、君が悪い子だったとか、パパが君を嫌いだったとかじゃないんだ。病気のせいなんだよ。これからパパは病気を治さなきゃならない。その間、君は里親に引き取られて過ごすことになると思うけど、君は優しくて強い子だ。パパが帰ってくるのを待っていてあげられるよね」
「……うん……」
「もし、つらいこと、悲しいことがあってがまんできないときは、ここにおいで。僕が力になるよ。僕はリュウイチ・ロマノっていうんだ。リュウって呼んでね」
「さあ、ディック、行きましょう。アデール・ニューマンよ、よろしく」
「ディック、元気でね」
「うん、リュウ、ありがとう」
ＳＣＥＮＥ５
「君はどうして、あの男が病気だってことがわかったんだ？」
「デラード先生……ディックが『パパ、ごめんなさい』って言った時、反応が異常だったんです」
「なるほど……それにしても、よく気付いたな……。それと君は、父親が君を殴るところを、ディックにわざと見せたな？」
「……はい……」
「ディックに父親の病気をきちんと認識させることと、殴られている君、つまりディック自身を見せて、自分を客観視させることが狙いだったんだろう。ちがうか？」
「……そのとおりです……」
「君は、入試の面接で、外科医志望と言っていたが、今でもそうなのか？」
「はい」
「そうか……惜しいな……。ケリーに傷の手当てをしてもらいなさい。それはだいぶんひどいぞ。じゃあ、バトワースは精神科に入院させるから……」
「お世話になりました」
ＳＣＥＮＥ６
「胸部、腹部、および顔面の打撲。口の中と顔面の裂傷……はい、骨折は無し。あんなになぐられて、よくこれだけですんだわ。リュウ、無茶はいけません。わかったわね」
「はい、すみません」
ウィーバーはリュウイチの治療を始めた。
「痛っ！先生、もう少しやさしくしてください」
「消毒薬がちょっとしみたくらいで、大げさに言うんじゃありません」
「わっ！痛い！」
「うるさいわねえ！」
「……すみません……だって、乱暴なんだもの……」
「何か言った？リュウ」
「いいえ」
「……はい、終わったわ。１時間くらいここで休んで、できるだけ冷やしたら、もう今日は帰りなさい」
「ありがとうございました」
ウィーバーは部屋を出る前、ドアのところで振り返って言った。
「二度と無茶は許しません。いいわね、リュウ」
ＳＣＥＮＥ７
「リュウ！その顔いったいどうしたの？」
リュウイチの右目ははれ上がり、まゆ毛の横を縫合して、ばんそうこうも痛々しい。口のわきもはれ上がっていて、まあ早い話が、顔中傷だらけという有様だったのだ。
「グリーン先生、実はキレちゃったエリザベス先生に、『あなたは、チェスト・チューブも満足に入れられないのっ！』って殴られたんです」
「えっ！」
「まあ、リュウ！かわいそうに！ケリーに聞いたわよ。大変だったわね」
「大丈夫です。エリザベス先生、それより、今グリーン先生に、『これ、エリザベス先生に殴られたんです』って冗談を言ったら、『ごめんね、リュウ。許してあげて。実は僕も昨日３発殴られたんだ』って言ってましたよ」
「……マーク！」
「落ち着いて！エリザベス。僕がそんなことを言うはずがないだろう。……リュウ！どこへ行った！」
「リュウ、どうしたの！傷だらけじゃない！」
「フィンチ先生、実は、よろけてチェン先生の胸をつかんじゃったら、『この痴漢！』ってハイヒールのかかとで殴られたんです」
「ハイヒールがどうしたの？」
「あ、チェン先生。そうじゃなくて、これは、ベントン先生とけんかしたフィンチ先生に、やつ当たりされたんです」
「ちょっと、リュウ！」
「いいかげんにしなさい！」
「ごめんなさい！本当のところ、実はこれ、ちょっと口答えしたら、パパに殴られたんです。ひどい親でしょ。だから僕、家出しようと思うんですけれど、おふたりのうちのどちらかのお家においてもらえませんか？」
「誰がひどい親だって？」
「あ、パパ」
「おいおい、こりゃひどいなあ。お前の取柄は顔だけなんだから、気をつけろよ。婿にいけなくなるぞ」
「さっき、ウィーバー先生に『あなた、最近たるんでるわよ』って杖で殴られたんだ。『もう、まったく！親の顔が見たいわ！』って言ってたので、あとでたっぷり顔を見せてあげてね」
「ケリーならさっき会ったぞ」
「……なんだ、そうなの……。じゃあ、僕着替えてきます。今日はもう帰っていいって言われたので……。パパももう帰るんでしょう？」
「ああ、早くしろ」
私服に着替えたリュウイチは、右目にアイパッチをつけていた。
「なんだそれは」
「この間京都に行ったとき買ったんだよ。これは刀の鍔……っていっても本物じゃないけど。柳生十兵衛みたいでかっこいいでしょう」
「くだらんことを言ってないで、さっさと帰るぞ」
「はい」
「今日は久しぶりに外で一緒に食事しよう」
「やった！何を食べるの？」
「タイ料理だ」
「……ちょっとパパ、僕、口の中が傷だらけなんだよ。タイ料理なんか食べたら、口が火事になっちゃうよ」
「知ってる」
「ねえねえ、もっとおだやかなものを食べようよ」
「いいや、だめだ。今日はエスニックな気分なんだ」
「えー、ひどいよー」