THE GENTLE DRAGON

 

 

 

EPISODE6  「A DREAM」

 

SCENE1
 リュウイチがロマノに引き取られて2回目の秋が過ぎた。12歳になったリュウイチは、あいかわらず忙しい毎日を送っている。CDも、クラシック市場としては破格の売り上げを伸ばし、写真集もかなりの部数が出たらしい。
「そろそろ国外のオーケストラからお声がかかるぞ、リュウ」
とは、『巨漢』のフルート奏者ニック・ウィーズナーの言葉であるが、当のリュウイチは
「ブームもなかなか下火にならないね。やっぱり僕がかわいいから?」
と、どこか他人ごとのようである。そんなある日のこと……。

 リュウイチがロマノのオフィスに飛び込んできた。
「パパ!これ見て!」
「パパは仕事中だ。あとにしろ」
「……はい」
「いいわよ、ロバート。リュウ、お久しぶり」
「エリザベス先生!こんにちは」
「いったいどうしたんだ、リュウ」
「オーディションの手紙が来たんだ。ヨハン・クローゼから」
「ヨハン・クローゼって、あの指揮者のか?」
「そうなの。クローゼは常任指揮者をつとめてるベルリン・フィルの他に、毎年夏にひと月だけオーケストラの指揮をするんだ。そのオーケストラのメンバーは、クローゼ自身によって世界各国からトップクラスの演奏者が集められて、クラシック・ファンの間では『ドリーム・オーケストラ』って言われてるの。そのオーディションを受けに来いって、手紙がきたんだよ」
「それはすごいな!リュウ!」
「やったわね!リュウ!」
「パパ、ドイツへオーディションを受けに行ってもいい?」
「もちろんだ」
「楽しみだなあ、カイザー・クローゼに会えるの。握手して、サインもしてもらおうっと」
「がんばって合格しろよ」
「……パパ、それは無理だよ。受かりっこないよ。『ドリーム・オーケストラ』のピアノは、もう5年もアメリカ人のブライアン・アーマーが弾いてるんだ。今年27歳で『貴公子』って呼ばれてる。彼は僕よりずーっとうまいんだから。僕は、クローゼに会えるのが楽しみなだけだよ」



SCENE2
 「ロマノ先生、坊やからお電話です」
「もしもし、リュウ?」
「パパ!僕、受かっちゃった!」
「合格したのか!おめでとう!」
「ありがとう!パパ、それでね、ドリームコンサートの前に、半年間、カイザー・クローゼが特別にレッスンをしてくれるっていうんだけど……」
「レッスンって、そっちでか」
「そうなんだ。ドイツで2月から半年間、コンサートも入れたら、7ヶ月間家を離れなきゃいけないんだけど、許してもらえる?」
「……ああ、いいぞ」
「ありがとう、パパ!カイザー・クローゼはもともとピアニストでね、カイザーにレッスンしてもらえるなんて、めったにあることじゃないんだよ」
「よかったなあ、リュウ」
「ありがとう!」

 「リジー、さっき電話がかかってきたんだが、リュウのやつ、オーディションに受かったらしい」
手術前の手洗いをしながら、ロマノが言った。
「まあ!おめでとう!ロバート!」
「ありがとう」
「うれしいでしょうね、リュウ」
「ああ、有頂天になってたな……2月から7ヶ月間向こうにいるらしい」
「……それは寂しくなるわね」
「いいや、せいせいするぞ。あいつがいると、外食ばっかりするなとか、掃除をきちんとしろとかうるさくてたまらん。7ヶ月間、せいぜい独身を謳歌するつもりだ。君も付き合わんか?リジー」
「いいえ、けっこうです!」

 リュウイチがドイツに発つ日……。
「パパ、一人で留守番大丈夫?」
「こいつめ!」
ロマノはリュウイチを抱きしめた。
「がんばってこいよ」
「はい」



SCENE3
 12歳の少年が『ドリーム・オーケストラ』のメンバーに選ばれたというニュースは、人々を驚かせた。それっとばかりにマスコミはドイツのベルリンに殺到したが、あっさりと、カイザー・クローゼに追い返されてしまった。クローゼはマスコミ嫌いで有名で、ここで機嫌を損ねては、今後一切の取材を断られる可能性があったからだ。世評はおおむね二通りに別れ、ひとつは、12歳の『天才』ピアニストに期待するというもの。もうひとつは、クラシック業界の不況を打破する『商品価値』を考えての人選なのではというものだった。
 
 「もしもしパパ?リュウです」
「元気か?」
「はい。パパは?」
「元気だ。お前がいないので、思い切り羽を伸ばしている」
「伸ばしすぎには気をつけてね」
「で、どうだ、そっちは」
「すごく楽しいよ。カイザーも、とってもよくしてくれるし」
「それはよかったな。……そういえば、世間はいろいろ言ってるようだが、あまり気にするな」
「ああ、あれね。えーとね、カイザーには口が裂けても言えないけど、僕自身、ちっちゃくてかわいいから選ばれたと思ってるんだよね」
「…………」
「あ、パパ。『ドリーム・コンサート』の最終日は、シカゴに決まったんだよ。聞きに来てね」
「もちろんだ」

 しばらく後に送られてきたコンサートのポスターは、クローゼとリュウイチのツーショットだった。リュウイチは屈託のない笑顔。クローゼの方は、リュウイチの肩に手を置き、孫を見守る祖父のような、慈愛に満ちた微笑を浮かべている。ちなみにこのポスターは、写真嫌いのカイザー初のほほえみということで、マニアの間では人気のレア・アイテムとなった。
「うちの子はやっぱりかわいい……」
ロマノはカウンティの1階の一番目立つところにポスターを貼った……。

 いよいよコンサート・ツアーが始まった。リュウイチのピアノに対する評価は絶賛の嵐で、そうなると、いわゆる『顔がかわいいから選ばれたのだ』という風評は、どこかへ消し飛んでしまった。リュウイチは『プリンス』というあだ名をちょうだいし、『プリンス・リュウ』はどこへ行っても人気者だった。

 「もしもしパパ?」
「リュウ、今、どこにいるんだ?」
「パリだよ。今、リハーサルの休憩時間」
「評判いいみたいだな」
「ありがとう。自分では信じられないけどね。パパ、さすが『ドリーム・オーケストラ』だよ。集合してすぐツアーが始まったんだけれど、一回のリハーサルで、ぴったりあっちゃうんだ」
「楽しいか?」
「とっても楽しいよ。みんなともすぐに仲良くなれたし、かわいがってもらってる。いろんな国の人がいてね、いろんな言葉が飛び交ってておもしろいよ」
「そうか、よかったな」
「パパ、ちゃんとご飯食べてる?」
「大丈夫だ。心配するな」
「もう少ししたら、帰るからね」



SCENE4
 手術を終えたロマノは、廊下の冷水機で目を冷やしていた。
「パパ!」
「リュウ!」
リュウイチが飛びつく。
「お前、背が伸びたんじゃないのか?」
「5センチくらいね。さっきシカゴについて、空港から直接ここにきたんだよ。パパに早く会いたくて」
「昼を一緒に食べるか」
「それがね、明日のリハーサルがあるから、すぐに行かなきゃならないんだ。明日は聞きに来てくれるんでしょう?」
「もちろんだ」
「あ、そうだ。これおみやげ」
「何を買ってきてくれたんだ?」
「開けてみて」
「……万年筆か……なかなか書きやすいな。ありがとう」
「こっちはエリザベス先生の分。イヤリングなんだけど、渡しておいて。今、手術中みたい」
「わかった。渡しておく」
「明日はコンサートのあと、打ち上げパーティがあって、次の日の朝解散だから、そしたら家に帰るからね」
「ああ」
「家に帰ったら、将来のことでパパに相談にのってほしいことがあるんだ……あ、もうこんな時間だ。行かなくっちゃ」
「明日のコンサート、楽しみにしてるぞ」
「はい……あ、パパ……僕をドイツに行かせてくれて、どうもありがとう……じゃあね」

 「リジー、これ。リュウからみやげを預かってた」
「ありがとう。リュウに会ったの?ロバート」
「ああ、すぐに帰ったんだが……リハーサルの前にちょっと寄ったらしい」
「明日が最終日なんでしょう?」
「そうだ。あさって帰ってくる。将来のことで相談にのってほしいらしいが、ドイツに住むつもりなのかもしれんな。ピアニストとしてやっていくには、その方がいいだろう」
「あなたはそれでいいの?ロバート」
「あいつの人生だ。俺は3年前の生活に戻るだけで、どうってことはない……」



SCENE5
 シカゴでのコンサートは、大成功に終わった。

 コンサート終了後、ロビーでは、オーケストラのメンバーが一堂に会して、記念撮影が始まっていた。その後、取材が許可されるので、マスコミ関係者がスタンバイしており、テレビカメラやマイクの準備で、あたりはごった返していた。リュウイチはファンからもらった大きな花束を抱え、最前列でクローゼの隣にに立っていたが、誰かが
「リュウ、でっかい花束だなあ。それじゃあ、足元が見えないだろう。転ばないように気をつけろよ」
と言ったので、どっと笑いがおきた。カイザーの笑顔をねらってフラッシュがたかれる……。
 クローゼはリュウイチの頭をなでながら、ふと、誰かが自分を見つめているような気がして、そちらを見た。
「……ブライアン……」
「……カイザー・クローゼ、お久しぶりです……」
ブライアン・アーマーは、にこにこしながら、クローゼと2メートルくらいの距離まで近寄ると、ポケットに入れていた右手を出した。その手には……拳銃が握られていたのだった。

 ロマノ、エリザベス、ウィーバーの3人は、ホールの出口近くを歩いていた。 
「リュウのピアノ、上手だったわね、ケリー」
「ほんと、すごかったわ。ドイツに行ってまた腕を上げた感じね」
「リジーもケリーも今日はどうもありがとう。どうだ?このあと、食事でも……」
その時、2発の銃声が聞こえた。
  
 「誰か撃たれたぞ!」
「カイザーか?」
「カイザーが撃たれたらしい!」
「救急車を呼べ!」
ロマノは猛然と走り出し、エリザベスとウィーバーも後を追った。

 「カウンティ・ジェネラルのドクター・ロマノです!けが人はどこですか?」
人波がさっと引いて、ロマノの目に飛び込んできたのは、鮮血に染まった大量の花だった……。そして、その花に埋まるようにして仰向けに倒れていたのは……。
「……リュウ!しっかりしろ!」
 ロマノはすばやくリュウイチの傷を調べた。弾は右上腹部に命中している。
「ちくしょう!この出血の様子だと、きっと肝臓がぐちゃぐちゃになってるぞ、くそっ!呼吸が止まった!」
ロマノはリュウイチに人工呼吸をする。そこへエリザベスがかけつけて来た。
「……リュウ!」
「リジー、心停止だ!マッサージを頼む。救急車はまだこんのか!」
「あと3分で来るそうです!」
「……出血がひどいわ……」
「……弾が肝臓に命中したんだ……」

 ウィーバーが床の上を流れている血を逆にたどっていくと、血だまりの中に男が倒れていた。頭の一部が吹き飛び、右手には拳銃が握られている。一目で即死とわかったが、一応手順を踏んで調べる。ウィーバーは男の顔に見覚えがあった。
「……ブライアン・アーマー?ドリーム・オーケストラで去年まで5年間ピアノを弾いてた、『貴公子』アーマーだわ!カイザーを撃って自殺したのね……」
その時、救急車が到着し、ストレッチャーがやってきた。
「ケリー!どこだ!君も一緒に救急車に乗ってくれ!リュウが撃たれたんだ!」



SCENE6
 「ケリー、帰らなかったの?」
「ええ、リュウのことが気になって……オペは終わったのね、エリザベス。容体はどう?」
「……オペは成功したわ。でも、肝臓の損傷がひどくて……」
「……助かる確率はどのくらい?」
「……20パーセント……」
「……ロバートもつらいでしょうね……これが、リュウの上着の内ポケットに入ってたんだけれど……」
それは、ロケット柄のバンダナに包まれた、2枚の写真だった。
「……これは、シュウ・パパとママと、リュウね……こっちは3年前のハロウィンの写真だわ。これ、私が撮ったのよ……」
エリザベスは顔を覆った。ウィーバーも目を真っ赤にしてうつむいている。

 ロマノは、小児ICUで、リュウイチのベッドの側に座っていた。
「……ロバート……これがリュウのポケットに入ってたらしいの……」
エリザベスは、バンダナの包みをロマノに渡した。ロマノは包みを開け、2枚の写真をじっと見つめた。涙がぽとぽとと写真に落ちる……。
「……ロバート……」
エリザベスは、むせび泣くロマノの肩を、そっと抱いた……。

 夜が明けても、リュウイチは昏睡状態のままだった。見舞いにやってきたクローゼは、リュウイチの容体をロマノに聞いて、
「……コンサートでリュウのピアノを聞いて、ブライアンは、自分の敗北を突きつけられたのでしょう………なぜ私を撃たなかったんだ……ブライアンをはずしたのは、この私なのに……リュウが撃たれたのは、私の責任です。本当に申し訳ない……」
と絞り出すような声で言った。
「……カイザー・クローゼ……ご自分を責めないでください。これは誰の責任でもない。もし、息子が死ぬのであれば、それは運命です。私は、息子をドリーム・オーケストラのメンバーに選んでいただいたことを、光栄に思っています。うらみも後悔もありません。息子も絶対同じことを思っているはずです。……息子に会ってやってください……」
 クローゼは、こんこんと眠るリュウイチの頭をなで、そっと手を握った。
「……リュウ、君の手はこんなに小さかったんだな……」
ブライアンという愛弟子を失い、今また愛弟子をもうひとり失おうとしている『カイザー』のほおを、涙が伝った……。

 

SCENE7
 1週間たって、やっとリュウイチは昏睡からさめたが、容体は一進一退だった。

 10日後、ロマノは思い切って、いちかばちかの再手術に踏み切った。成功する確率はわずか10パーセントという難しい手術であったが、外科医としての己のすべてをかけて、ロマノは無事手術を成功させた。

 「……パパ、ありがとう……」
「どういたしまして。どうだ、パパの腕はすごいだろう」
「外科医のドリーム・チームがあったら、絶対選ばれるね」
「ドイツへ行って、お世辞の言い方を習ってきたのか?」
「実はそうなんだ」
「こいつ!」
「パパ、耳を引っ張るのはやめてよ!」

 「パパ、将来のことなんだけど……」
「ドイツに住みたいのなら、住んでもいいぞ」
「……違うよ。パパ、僕は外科医になりたいんだ」
「…………」
「今度のことでそう思ったんじゃないよ。ずっと前からそう思ってたんだ。で、パパに聞きたいんだ。僕は弱虫で泣き虫だけど、外科医になれる?僕はパパみたいなすご腕の外科医になりたいんだよ」
「外科医にはなれる。でも、すご腕になれるかどうかは、今はまだなんとも言えんな。だが、パパが鍛えてやってもいいぞ」
「よろしくお願いします。よーし、じゃあ、がんばって勉強するぞ!」
「せっかちなやつだなあ。まだまだ先の話だろう」
「だって、入試は来年の4月だよ」
「……ちょっと待て、来年ってお前……」
「僕、大学はもう卒業してるから、受験資格はあるんだよ」
「いつ卒業したんだ?」
「ええと……去年。言わなかったっけ?」
「聞いてないぞ。卒業式は」
「パパ忙しそうだったから、僕一人で……」
「……おいおい……」
「数学の方は、来年の春くらいに学位が取れそうだから、ちょうど区切りがついていいんだよね」
「何の学位だ?」
「僕、今博士課程に在学してるから、数学のドクターが取れるってこと」
「……お前という子は……あっ!ピアノはどうするんだ!リュウ!」
「カイザーには去年オーディションの時に、『僕はピアニストにはなりません、外科医になります』って言ってあるから了承済みでしょう。大丈夫。ドリーム・コンサートには参加するつもりだから。まあ、選ばれればの話だけどね……。」



SCENE8
 医学部の面接が終わって、3人の面接官が協議をしていた。心臓外科部長のジャック・ケイスンが言った。
「ドクター・コバーン。リュウイチ・ロマノをどう思う?」
「ドクター・ロマノの息子ね。かわいくていい子だわ。パパに似なくてよかったわね。……成績は受験生の中でトップだから問題ないし、面接の印象もよかったし、引っかかるところがあるとすれば、年齢的に若すぎるってことかしら。まだ、14歳でしょう。でも普通の14歳よりはるかにしっかりしていて大人だから、私は合格でいいと思うわ」
「私も、おおむねドクター・コバーンと同意見だ。私もネックは年齢だと思うが、病院での実習までにあと2年あるし、人間は日々成長するものだしな。合格でいいと思う。……ドクター・デラード、精神科のドクターとしての君の意見は?」
「私は彼と4年前に話をしたことがあるんだ。そのとき、私は彼は医者になる素質があると思ったんだが、今回の面接でさらにそれを再認識したよ。専門的に見ても、彼の精神的発達は、他の受験生と比べても遜色ないし、私も合格でいいと思う。……しかし、外科医になりたいのか……精神科に来てほしいんだけれどな……」

 
 



   

 ふみさとよりひとこと お読みいただきありがとうございますm(_ _)mEPISODE7は、EPISODE6の2年後のお話で、リュウイチは医学部の3年生として病院での実習に取り組むことになります。ただ、リュウイチだけが大きくなって、他の登場人物はあまり歳を取っていないという摩訶不思議な状況になっておりますが(^_^;そこのところをご了承くださいませm(_ _)m今後ともどうぞよろしくお願いいたしますm(_ _)m



EPISODE7 「THE FIRST DAY」へ続く

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