THE GENTLE DRAGON

 

 

 

EPISODE  「A STORM」

 

 

SCENE1
 「エリザベス、これからオペ?」
「ええ、30分後にね。だけど、ちょっとリュウの顔を見てこようかと思って」
「ああ、そうなの……じゃあ、私も小児科で降りて顔を見に行くわ」
エレベーターを降りたふたりの耳に、ピアノの調べが飛び込んできた。
「あら、ピアノ」
「誰かが遊戯室のピアノを弾いてるんだわ……ショパンの『英雄』……上手ね……」
「ちょっと、ケリー!リュウの病室はこっちよ!どこ行くの?ケリー!」
ウィーバーはものすごい勢いで歩いていく。エリザベスは少しの間迷っていたが、ウィーバーのあとを追った。
「ケリー、いったいどうしたの?」
それには答えず、ウィーバーは遊戯室のドアを開けた。
 
 ピアノを弾いていたのはリュウイチだった。ふたりが入ってきたことにも気付かず、一心不乱にピアノを弾いている。
「上手ねえ」
「しいっ!静かに」
 リュウイチが弾き終わると、ふたりは思わず拍手をした。それくらい上手だったのたのだ。リュウイチはびっくりして振り向き、ふたりを見ると、にっこり笑って立ち上がった。と、身体がふらりとゆれ、ピアノにつかまり、すとんといすに腰を下ろした。胸を押さえて前かがみになる。
「リュウ!どうしたの?」
「大丈夫?」
エリザベスは脈をはかり、ウィーバーが聴診器をあてる。
「ごめんなさい……中をのぞいたらピアノがあって……誰もいなかったから……もう1週間近くピアノにさわってないし……弾きだしたら止まらなくなっちゃって……」
「脈が速いわ。どれくらい弾いてたの?」
「1時間くらい……」
「無茶しちゃだめよ。病室に戻りましょう」
「車椅子を借りてくるわ」
「いいわ、ケリー。私がおんぶする」

 「はい、ついたわよ。ベッドにあがりましょ」
「ありがとうございます。ごめんなさい」
「いいのよ、気にしなくて。でも、もう無茶はだめよ」
「はい」
「じゃあ、またね、リュウ。あとをお願い、ケリー」
「ええ」
 リュウイチはベッドに横になり、目を閉じた。
「水を飲む?」
「はい、すみません」
ウィーバーはサイドテーブルのペットボトルを取ろうとして、CDが何枚か置かれているのに気付いた。
「……シュウ・タカミザワのCD……私も大好きよ、シュウ・タカミザワ。突然亡くなってしまって、とっても残念だったわ」
「……ありがとうございます……」
「あら、ごめんなさい。水を取ってあげるって言ってたのに、私ったら。はい、どうぞ」
「いいえ、違うんです……パパのピアノを好きと言ってくださって、パパの死を残念って言ってくださって、ありがとうございます」
「パパですって?」
「ええ、シュウ・タカミザワは、僕の義理のパパなんです」
「……そうだったの……ちっとも知らなかった。ごめんなさい」
「いいえ……ウィーバー先生」
「なあに、リュウ」
「いつまでも、パパ……シュウ・タカミザワのピアノを忘れないでいてくださいね」
「ええ、もちろんよ。約束するわ、リュウ……」
ウィーバーはリュウの頭をなで、キスをした。



SCENE2
 「ロバート」
「やあ、ケリー。うちの息子が世話になったらしいな。ありがとう」
「どういたしまして。その、リュウのことなんだけど」
「なんだ?リュウが君に何か失礼なことを言ったのか?まあ、用心深いあいつが、そんな危険をおかすとは思えんが」
「リュウはピアノがとっても上手ね」
「義理の父親がピアニストだったから……。形見のグランドピアノがうちに届いてからは、よく弾いてるようだな。私も、あいつのピアノをききながら酒を飲むのを楽しみにしてる」
「レッスンは受けてないの?」
「ああ、受けてない。あいつが行かなくていいって言うんだ」
「あなたに遠慮してるんじゃない?」
「それはないと思うぞ」
「でも、あんなに上手なのにもったいないわ」
「うーん……じゃあ、本人にもう一度聞いてみるか」

 リュウイチはCDを聞いていた。
「リュウ、本当にお前、ピアノのレッスンには行かなくていいのか?遠慮しなくていいんだぞ」
「パパ、僕遠慮なんかしてないよ」
「あんなに上手なのにもったいないわ」
「ええと、僕の説明不足だったみたいで、ごめんなさい。僕、シュウ・パパに、『教えなきゃならないことはもう全部教えたから、あとは自分で練習しなさい』って言われたの。だからレッスンには行かなくてもいいんだ。こうやってCDを聞いて、それを忠実に再現したりとかいろいろ自分でできるから大丈夫だよ」
「リュウはピアニストにはならないの?」
「シュウ・パパもママも、自分の仕事を僕に継がせたかったから、よく、『リュウはショパン・コンクールで優勝して、将来はヨハン・クローゼの指揮でピアノを弾く』とか、『リュウは将来フィールズ賞を取る』とか夢みたいなこと言い合ってたけど、僕はそれほど脳天気じゃあないです。自分の才能は自分が一番よく知ってます」



SCENE3
 その日ERはごった返していた。なんでも、世界各国の踊りや歌を披露する大会がシカゴで開かれていて、その会場で食中毒が発生したというのだ。たくさんの患者がシカゴ中の病院に搬送されていて、当然カウンティ・ジェネラルにも山ほど患者が送り込まれた。軽症から重症まで程度もさまざま、吐き気・腹痛・発熱・下痢など症状もさまざまだったが、患者はみんな苦痛を訴えていた。ただ、問題だったのは、言葉が通じない患者がたくさんいたことだ。ERでは怒号が飛び交っていた。
「通訳はいないの?」
「誰か通訳して!」
「俺はイタリア語はわからないんだ!」
「中国語のできる人!」
「何て言ってるんだ、誰か教えてくれ!」
「いったいこれは何語?」
 
 入院生活も2週間になり、退屈しきっていたリュウイチは、救急車のサイレンがひっきりなしに鳴っているので、いったい何があったんだろうとERを偵察しにやってきて驚いた。いろいろな国の言葉が聞こえてくるのだ。
「スペイン語の通訳はまだ?さっきから頼んでるのに、まだ来ないの?」
と叫んでいるグリーンが見えたので、リュウイチは側に行って、グリーンの洋服のすそを引っ張った。
「グリーン先生、お手伝いしましょうか?」
「スペイン語できるの?リュウ」
「はい、一応」
「助かった。じゃあ、この人が何て言ってるか教えて」
「……ええと、おなかが痛くて、吐き気がするって言ってます」
「何かアレルギーはあるか聞いてみて」
「……ないそうです」
 
 スペイン語の一団の診療が終わって、リュウが廊下をぶらぶらしていると、ひときわ大きな怒鳴り声が聞こえてきた。
「通訳通訳って言ったって、そんなにたくさんいるわけがないでしょう!足りないんだから、みんな、自分で何とかできることは、何とかしなさいっ!だいたい、会場に通訳がいたはずよ。どうして一緒に来なかったの!もうっ!いいかげんなんだからっ!」
ウィーバーが杖を振り回しながら怒鳴っている。
『ひょえー!ウィーバー先生怒鳴りまくってる……。前に見た外傷室のエリザベス先生とどっちがすごいだろう?みんな知らん顔してるけど、いつものことで慣れちゃってるとか?……うわ、やばいよ。目が合っちゃった」
「リュウ!どうしてあなたがこんなところにいるの!ちょっとこっちへいらっしゃい!」
『わあああ!誰か助けて!……みんなどうしていなくなっちゃうんだよっ!』
「……こんにちは、ウィーバー先生」
「こんなところで何してるの!病室に戻りなさい!」
「通訳をしていたんです。ごめんなさい、すぐ帰ります」
「ちょっと待って。今、通訳って言ったわよね」
「はい……」
「イタリア語できる?」
「はい、一応」
「そう……じゃあ、こっちに来て」
ウィーバーはリュウを治療室に連れて行くと、
「この人たちが何て言ってるか教えてちょうだい」
と言った。

 『……やっと終わった……。ウィーバー先生ってけっこう人使い荒いよなあ……僕、一応患者なんだけど……』
「……わあっ!」
突然耳を引っ張られて、リュウは飛び上がった。
「こんなところで何をしているんだ?」
「パパ!……ごめんなさい。通訳をしてたんだ。ねえ、耳を引っ張るのはやめてよ」
「……通訳って言ったな」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい」
「中国語を話せるのか?」
「はい、一応」
「よし、じゃあ、こっちにこい。盲腸かもしれない患者がいるんだ」
「パパ、いい加減に耳を離してよ」

 受付でグリーンと話をしていたウィーバーは、通りかかったロマノとリュウイチに声をかけた。
「リュウ、ちょっと待って……さっきはありがとう。はい、ジュースをあげる」
「ありがとうございます」
「すまんな、ケリー」
「でも、助かったわ。リュウがイタリア語ができて」
ロマノとグリーンが同時に言った。
「中国語だろう?」
「スペイン語じゃないの?」
リュウはジュースを飲みながらくすくす笑っている。
「僕ね、小さいときからママやパパの職場に連れて行かれてて、いろんな人にお守りをしてもらってたんだけど、留学生とか外国の人も多かったから……。教えてもらったっていうか、自然に覚えちゃったとか、まあ、そんなところです」
「あと、何語が話せるんだ?」
「ええと、フランス語、ドイツ語、アラビア語、ポルトガル語、それから日本語」
「へえ、すごいな、リュウ」
「すごくないよ。子供はすぐに覚えるから」
「ロバートも知らなかったの?」
「日本語が話せるのは知ってたぞ」
「シュウ・パパもママも日本人で、家で日本語をよく使ってたから……。生活も日本風のところがけっこうあったみたいです。パパに指摘されるまでわからなかったけど」
「そうそう、こいつ、ライスに生卵をかけて食べるんだ。信じられんぞ、あれは」
「卵ご飯はおいしいよ。しょうゆがポイントなんだ。何で卵ご飯がいけないの?パパ、肉じゃがとかはおいしいって食べるのに」
「和食がいけないって言ってるんじゃない。生卵が理解できんだけだ。さあ、リュウ、カフェテリアにいくぞ」
「はい」
「あ、僕もちょっと休憩してこよう」



SCENE4
 ロマノとリュウイチ、グリーンは病院のカフェテリアに座っていた。大人たちはコーヒーを飲み、リュウイチはチョコレートパフェを食べている。
「今日、ウィーバー先生がすごく怒ってたの。僕、とってもこわかった……」
「ごめん。これからはちゃんと鎖につないでおくからね」
「口輪もはめておけ」
「本当にこわかったんだよ。この間外傷室で怒ってたエリザベス先生もこわかったけど……」
「あ!それだ!」
「?」
「エリザベスにこの間、『リュウに、私が怒るとこわいって言ったのは、マーク、あなたね!』って怒られたんだよ。僕はそんなことを言った覚えはなかったから、変だなって思ってたんだけど、リュウは自分で目撃したんだね」
「ごめんなさい」
「あやまらなくてもいいよ」
「でも、変だなあ……。エリザベス先生が怒るとこわいって僕が思ってることを、どうしてエリザベス先生が知ってるんだろう……ひょっとしてパパが言ったの?」
「いいや。どうして私がそんなことを言う必要があるんだ」
「あの時、僕は大変だったんだよ。『ごめんなさい』を30回言って、やっとエリザベスに許してもらったんだから」
「あ、ママとおんなじだ。ママはね『ごめんなさい』を50回書かせるの。言うのはうるさいから書かせるんだって。そしてね、その紙を引き出しにずっとしまってたんだよ。シュウ・パパなんか、いっぱい書いてたんだから」
げほげほと、ロマノがコーヒーにむせて咳をした。
「パパ、大丈夫?」
「ああ、むせただけだ」
『俺が書いた、あの”ごめんなさい”の紙の束はどうなったんだろう……』

 「ママは普段はとってもやさしかったんだけれど、怒るとこわくて……。一番こわかったのはね、シュウ・パパの帆船を頭の上に高く掲げて、仁王立ちになってた時。……シュウ・パパは帆船を作るのが趣味で、部品をひとつひとつ自分で削って作って組み立てるから、とても手間がかかってるんだ。ふたりがけんかしてる声が聞こえて僕が部屋に入ってみたら、シュウ・パパの帆船の一番大きいのを、ママがまさに床にたたきつけようとして、仁王立ちになってたの」
「……それはこわい……。で、どうなったの?」
「シュウ・パパが泣いてあやまって許してもらったの。本当にぼろぼろ泣いてたから、僕びっくりしちゃった」
「……シオンも変わっていなかったんだな……」
「パパ!パパもママに仁王立ちされたんだね!」
「俺はされてない!」
「だって今、変わっていなかったんだなって言ったもん。ねえ、パパは何をこわされそうになったの?」
「……ベネチアングラスのゴブレットだ……」
「パパも泣いてあやまった?」
「俺がそんなことをするわけがないだろう。ゴブレットは木っ端微塵になっってしまったがな……」
「パパ、うそついちゃだめだよ。あの時、シュウ・パパが帆船を抱えて自分の部屋に閉じこもっちゃった後で、ママが、『どうして私がああすると、みんな泣いてあやまるのかしら……』って言ってたもの。ってことは、パパも泣いてあやまったってことだよね。それに、ベネチアングラスのゴブレットって、僕がパパに引き取ってもらった一番最初の日に、絶対さわっちゃだめだって言われた、飾り棚の中のあのゴブレットでしょう?こわれないでちゃんとあるじゃな……パパ、痛いよ!耳を引っ張らないでよ!」
「グリーン!笑うなっ!」

 「……いやあ、エリザベスも怒るとこわいのなんのって……この間も、食事中にけんかになったら、いきなりエリザベスがフォークを振りかざして、僕はパン皿で応戦したんだ」
「とっても楽しそうね。何を話してるの?」
エリザベスの声に、3人は飛び上がった。
「やあ、エリザベス、いつ来たの?」
「あなたがフォークの話をする前よ、マーク」
「さあ、リュウ、そろそろ病室に戻るぞ。熱が出てはいかんからな」
ロマノは席を立ち、リュウイチを抱き上げた。
「それじゃあ失礼する」
「僕も戻らないと……」
「マーク、あなたは座って……座りなさい!」


 「パパ、嵐の予感……」
「大荒れだな……」






EPISODE5 「THE GIFT]へ続く

トップページへ