ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＥＰＩＳＯＤＥ１１ 「Ａ ＧＲＩＰ」
ＳＣＥＮＥ１
リュウの臨床実習は、ＥＲの次は外科ローテーションだった。エリザベスについて、修行の毎日である。
「リジー、うちの馬鹿息子はどんなぐあいだ？」
「ええ、術前の検査結果がすべてきちんとカルテに書き込んであるし、キスしたいくらいです」
ロマノとリュウイチが同時に言った。
「どうせなら私にしてほしいもんだな」
「右のほっぺにお願いします」
リュウイチとロマノは、ひりひりするほおを手でなでながら廊下を歩いていた。
「だいたい、パパがあんなことを言うからいけないんだよ。僕だけだったら『まあ、リュウったらいけない子ね』ですんだのに……」
「リジーはいつも、あれくらいのジョークでは怒ったりせんぞ。これはお前のせいだな」
「ということは、ふたり同時っていうのがまずかったんだね。例の『シュウ・パパの法則』で、『女の人は、つまらないジョークを続けざまに言うと怒る』っていうのがあるんだけど、きっと『続けざま』っていうところを、よく理解しておかなければいけなかったんだよ。つまり、ひとりが２回でも、ふたりが１回ずつでも、結果は同じっていうこと」
「とても勉強になったな……おい、リュウ、ほっぺたに赤い指の跡がついてるぞ」
「パパもだよ」
ＳＣＥＮＥ２
「あら、ちょうどお昼ね。リュウ、マグーのお店にでも行きましょう。ごちそうしてあげるわ」
「ありがとうございます。でも僕、お昼を家から持ってきてるので……」
「あら、お弁当なの。じゃあ、私も何か買ってくるわ。ラウンジで一緒に食べましょう」
「はい、チョコレートアイスクリームを買ってきてあげたわよ」
「ありがとうございます！」
「いつもお弁当なの？」
「ええ。すぐに食べられるから、時間の節約になるし……。実習が始まってからは、細切れでも時間を見つけないと、やることがどんどんたまってしまって」
「でも、毎朝お弁当を作るのって大変でしょう」
「そうでもないんです。簡単なものしか作らないし、それに僕、料理が一番のストレス解消法なんです。あれも作るぞこれも作るぞって計画しておいて、休みの日にはいろんなものを一気に作るのが楽しみで。あとは洗濯と掃除。家中がぴかぴかになると、とても幸せな気分になるんです」
「うちにも来てもらいたいくらいだわ……。ロバートも助かるわね」
「『お前は変なやつだ』っていつも言われてます」
「リュウ、あなた変わったものを食べてるわね」
「あ、これはおにぎりといって、ライスを握ったもので、日本のお弁当の定番なんです。僕、１日１度はお米を食べないと気がすまないもので……」
「リュウのママは日本人だものね」
「ええ、でも半分だけ……たぶんママはハーフなんです。赤ちゃんの時、施設の前に置き去りにされてたとかで、親のことは何もわからないらしいんですけど……」
「……そうなの……なんだか、おかずも変わってるわね」
「今日は肉じゃがとか、だし巻き卵とか、和風のおかずなので……。味見しますか？パパの口に合うようにアレンジしてあるから、大丈夫だと思いますよ」
「じゃあ、トライしてみるわ……おいしい！もしかして、ロバートもお弁当なの？」
「ええ、作ってくれっていう日には作ります。もちろんおにぎりじゃあありませんけどね」
「それにしても、リュウ……あなた、たくさん食べるわねえ」
「育ち盛りですから。でも、これだけ食べても、夕方にはおなかがすいて、目が回って死にそうになっちゃうんですよ」
「まあ……でも、食べる割には、あいかわらずやせっぽちね……」
ＳＣＥＮＥ３
「おや？リジーにはオペのアシストを頼んだが、お前に用はないぞ、リュウ」
「ロバート……」
「Calot's triangle を言ってみろ」
「……胆嚢管、総肝管、肝臓下面で囲まれる三角です」
「総胆管と十二指腸の接合部分には何がある？」
「オッディの括約筋があります」
「患者には一切触れるな。見るだけだぞ」
「はい！ありがとうございます！」
「よかったわね、リュウ」
エリザベスは、リュウイチと並んで手を洗いながらささやいた。
「はい。ありがとうございます」
リュウイチは濃紺の手術着に身を包み、紺地に白く『龍』の字を染め抜いた、日本手ぬぐいを頭に巻いている。
「それは漢字？」
「ええ、リュウっていう漢字です。意味はドラゴン……」
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさとしろ！」
「はい！」
ふたりは首をすくめた。ちなみに今日のロマノの頭には、リュウイチの京都みやげ、紺地に白のうさぎ模様の日本手ぬぐいが巻かれていた。
手術は順調に進んでいた。リュウイチは真剣な表情でじっと見つめている。
「しまった！動脈を傷つけたわ」
「おいおい……出血で何も見えんぞ。吸引しろ！」
「はい！」
「……もっと吸引しろ！ガーゼをくれ！あと４単位輸血！」
損傷箇所を修復しようにも、腹腔内には血があふれ、何も見えない状態である。ロマノとエリザベスにあせりの色が見え始めたその時、リュウイチがいきなり患部に右手を突っ込んだ。
「リュウ！何をやってるんだ！馬鹿！さわるなと言っただろう！」
「リュウ！あなた、何をやってるの！やめなさい！」
「患者から離れろ！」
ロマノはリュウイチに体当たりをしようとした。
「待って！ロバート！出血が止まったわ！」
「何？ほんとか？」
あふれていた血液が吸引されて、リュウイチの手があらわになった。その親指と人差し指は、損傷箇所をぴたりと押さえていたのである。
「……何で損傷箇所がわかったんだ」
「……なんとなく……」
「患者にはさわるなと言ったはずだ」
「……すみません……」
「医学生のくせに勝手なことをするな！リジー、クランプしろ。リュウ！お前はオペルームから出ろ！」
「ロバート！」
ＳＣＥＮＥ４
「ロバート、リュウのおかげで出血が止まって助かったんだし、あんなに怒らなくても……」
「言いつけを守らなかったんだから当然だ」
「もう少しリュウをほめてあげてもいいんじゃない？なかなか優秀だと思うわ。彼が謙虚過ぎて、積極性に今ひとつ欠けるのは、あなたのせいなのかもしれないわね」
「あいつが謙虚なのは、俺のせいじゃない。昔からああなんだ。確かにリュウは、医学生としては優秀かもしれない。だが、１人前の医者には程遠い。とてもほめる気にはなれんな……。それはそうと、ＥＲローテーションでリュウのやつ、今日みたいなことをしたことがあるのか？」
「……そういえば、マークが『今日はリュウのおかげで助かった』って言ってたことがあったわ。確か、今日みたいに出血箇所をつかんだって話だったと思う。マークが『リュウの指には目がついてるんじゃないの』って……」
ＳＣＥＮＥ５
ある日のこと、リュウイチは外科にある自動販売機で、チョコレート・アイス・バーを買っていた。出てきたチョコレート・バーを取ろうとした時、横から伸びてきた手が先に、チョコレート・バーをさっとさらった。
「……パパ！それは僕の……まあいいか」
リュウイチはもう一度コインを入れた。
「あ、売り切れだ。……ちょっと待って、パパ！返してよ、そのチョコレート・バー」
「早い者勝ちだ。ぼーっとしているお前が悪い」
「そんな、横から勝手に……泥棒！」
「親を泥棒呼ばわりするのか？何てやつだ。金なら払うぞ、ほら」
「いやだ！僕はチョコレート・バーを食べたいんだ！」
「うるさい！だまれ！俺に逆らうのか！」
「静かになさい！」
「ケリー……」
「ウィーバー先生……」
「何ですか！ふたりとも！みっともない！チョコレート・バーは没収します！」
ウィーバーは、ぷんぷん怒りながら向こうへ行ってしまった。
「……ねえ、パパ。ひとつ聞いてもいい？」
「なんだ」
「どうしてウィーバー先生は、チョコレート・バーを持って行っちゃったの？」
「……自分が食べたかったんだろうな」
「だよね……」