ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＥＰＩＳＯＤＥ１０ 「Ａ ＬＩＦＥ」
ＳＣＥＮＥ１
リュウイチのＥＲでの研修も終わりに近づいてきた。
「カーター、リュウの評価はどう？」
「知識が豊富で患者の扱いもうまいし……手技もけっこうこなしてますね。ちょっと慎重すぎるところがあるけれど、まあ、医学生だし、無謀な方が困るから……あと、謙虚ですね。もう少し積極的になってもいいと思うんだけれど……」
「リュウの性格は、パパとはだいぶ違うみたいだね」
「ママに似たんでしょう。評価としては、優秀と言っていいと思います」
「このまま無事に研修終了ってとこかな」
「リュウなら大丈夫でしょう」
ＳＣＥＮＥ２
その日ＥＲは、マーシーのＥＲが閉鎖されたため、多数の患者が一度に運び込まれ、朝からまるで戦場のようだった。そして、それは午後になっても続いていた……。
「左胸部の銃創患者が来ます。容体は安定してるそうです」
「ウィーバー先生、交通事故の患者が急変しましたっ！」
「今行きます！リュウ、あなた、銃創患者を受け取りにいってらっしゃい」
「はい」
「僕の合図で移してください、１，２，３！」
救急隊員が帰り、部屋には患者とリュウイチが残された。患者は２０歳の男性で、名前はフレッド・ギルマン。けんかの末、相手に撃たれた。犯人は逃走中とのことである。意識もはっきりしているし、呼吸、血圧とも安定していた。
『右側呼吸音良好、左側……あ！呼吸音が聞こえないぞ。気胸をおこしたんだ！……意識が無くなった……大変だ！これは急変するぞ！』
リュウイチは、部屋を飛び出して、応援を頼みに行った。
「すみません！左胸部の銃創患者が急変しました！僕しかいないんです！誰か来てください！」
リュウイチは走り回ったが、どの部屋も修羅場の真っ最中で、ドクターも看護師もてんてこまいだった。みんながリュウイチの言葉を聞いてはいたのだが、現実問題として、誰も手を離すことができなかった。自分が今抜ければ、目の前の患者が死ぬ。ＥＲのスタッフ全員が、そういう状態だったのである。
リュウイチは電話に飛びついた。
「もしもし、外科ですか？ＥＲですが、誰か応援を頼みます！」
ところが外科も、予定されていた手術と、ＥＲから運び込まれた患者の手術や治療で、やはりスタッフ全員が手一杯ということだった。
「……くそっ！」
リュウイチはくちびるをかみしめた。
ウィーバーはあせっていた。リュウイチが必死の形相で飛び込んできてから、もう２０分は経過している。誰かが駆けつけてはいるだろうが、もし誰も行けない状態だったら？リュウイチ一人で患者を救えるはずはなく、当然患者は死んでいるだろう。そうなれば……ＥＲ部長として、ウィーバーが責任を問われることになるのは明白だった。それにリュウイチは、他ならぬロマノの息子である。ロマノは自分の持つ権力のすべてを使って、ウィーバーを犠牲にしてでも、全力で息子を守ろうとするだろう。努力を積み重ね、やっと手に入れたＥＲ部長の座から追われるかもしれない……でも、とウィーバーは思った。自分が責任を逃れることができる方法がどこかにあるはずだ。それはあとでゆっくり考えよう。とにかく今は、目の前の患者の容体を安定させて、一刻も早くリュウイチの元へ駆けつけることだ……。
「チェン、あとはお願い。ちょっとリュウを見てくるわ」
ウィーバーは廊下に飛び出した。ほとんど同時に隣の部屋からグリーンが飛び出してきた。ふたりでリュウイチのところへ行く途中で、エリザベスとベントンがそれぞれの治療室から飛び出して来る。４人は思わず足を止めた。
「ルカは？」
「私と一緒に治療してた。まだ中にいるわ」
「チェンは？」
「私と一緒だった」
「カーターは？」
「僕と一緒」
「クレオは？」
「今日はオフだ」
「……外科に応援を頼んでるかもしれないわね」
「外科もたぶん余裕はないわ」
「しまった！リュウひとりだ！」
ＳＣＥＮＥ３
部屋に飛び込んだ４人が見たものは、床にひざを抱えて座り、すすり泣いているリュウイチの姿だった。覚悟はしていたものの、いざ、現実を目の前に突きつけられて、４人ともその場に立ち尽くした。リュウイチがゆっくりと立ち上がる。
『……しまった……後悔しても遅いけど……私としたことが……大失敗だわ……なんとかうまい方法を考えなくては……きっと何かあるはずよ……まずは落ち着くことよ……さあ、ケリー、しっかりしなさい……落ち着いて行動することは、きっといい結果をもたらすわ』
少し落ち着きを取り戻したケリーの耳に、音が飛び込んできた。ピッ、ピッ、ピッ……と規則正しいその音は、モニターから聞こえていたのだった。
「……モニターの音？」
ケリーの言葉で我に返った３人の耳にも、モニターの音が聞こえた。みんなが患者のもとに走り寄る。患者は、フレッド・ギルマンは生きていた……。
「リュウ、君が泣いてるもんだから、てっきり患者は死んだと思ったよ……」
「ごめんなさい」
「あやまらなくていいよ。よかった。死んでなくて」
グリーンは安堵し、喜びをあらわにした。他の３人も一様にほっとし、笑顔になった。
「……左肺が気胸をおこしていたので、チェスト・チューブを入れました」
「私が教えたの……いい子ね、うまく入ってるわ」
「……でも、呼吸停止になったので、挿管して、レスピレーターにつないだんです」
「僕が教えた……ばっちり入ってる」
「……ソラシールに１リットル出血したので、セントラルラインを入れて、Ｏマイナスを４単位、ラピッドインフューザーで輸血しました……」
「私が教えた……上手ね」
「でも、胸からの出血はおさまらなくて……血圧もだんだん下がってきて……このままでは心停止すると思ったので……開胸したんです……」
「おいおい！開胸したのか……あ、ほんとだ……そういえば、昨日お前に開胸を手伝わせたな……あ！リュウ、お前弾を抜いて、心臓の傷を縫合したんだな」
「……あらほんとだ。上手に縫合してある」
「弾が心臓に入ってて、出血してたので……心臓の中は手がつけられないから、弾を抜いて応急に縫合したんです。なんとか出血も止まって、血圧が上昇したので……」
「で、ほっとしたら涙が出たというわけだね」
「……そうじゃないんです……処置してる間は夢中だったんですが、終わってほっとしたら、僕、急にこわくなってしまって……患者の命が僕に委ねられたことが……この手で患者の命を握っていたことが……とってもとってもこわくなったんです……そうしたら涙が止まらなくなって……恥ずかしいんですけれど……」
「リュウ、恥ずかしいことじゃないわ。患者の生死の鍵を自分が握っていることの、こわさを知らない方が、恥ずかしいことなの。こわくなかったら、ドクターとして失格よ」
そう言って、エリザベスは思わずリュウイチを抱きしめた。彼が小さいころよくそうしていたように……。
ＳＣＥＮＥ４
リュウイチが屋上に『休憩』しに行ったあと、４人はほっとため息をついた。
「しかし、研修３ヶ月の医学生で、これだけの処置をたった２０分でやってのけるとは、さすがロマノの息子だな」
「本人は『火事場の馬鹿力』だって謙遜してたけどね」
「そこが、ロバートと違うところだわ」
「でも、リュウががんばって患者を助けてくれたおかげで、僕たちは首がつながったようだね。特に君はリュウに足を向けて寝られないよ、ケリー」
「一応聴聞会が開かれるでしょうけれど、患者が助かってるから、形式的なものですみそうね……」
そっけない言い方とは裏腹に、ウィーバーは喜びのあまり、踊りだしたいくらいだった……。
ＳＣＥＮＥ５
「ケリー、今日ＥＲからオペ室に上がってきた、左胸に一発くらった患者の、心臓を縫合したのは誰だ？」
「……」
「縫合の仕方には、人によって微妙なくせがあるんだ。リジーやピーターは、一緒にオペをするからわかるし、君たちＥＲに関しては、個人の特定はできんが、一応わかる。つまり、今日の患者の縫合は、私が見慣れたものではなかったということだ」
「リュウが縫合したのよ、ロバート」
「ほお……。うちの息子が大泣きしたという噂と、それとは何か関係があるのか？」
「あとで報告しようと思っていたんだけれど……」
ウィーバーは一部始終を話した。
「ちょっと待て……ということは、たったひとりでチェスト・チューブとセントラルラインを入れて、挿管して、開胸して心臓の穴をふさいだのか」
「そうよ」
「おいおい！君たちＥＲは、何て無茶なことを医学生にさせるんだ。患者が死んでたら、いったいどうするつもりだったんだ？君がクビになるのは知ったこっちゃないが、病院は大迷惑をこうむるところだったんだぞ！」
「申し訳ありません」
「一応聴聞会が開かれることになるだろう。いいわけを考えておけ。……それと、うちのリュウのやつを、ほめたりしてないだろうな。馬鹿をおだてると、つけあがって手に負えんようになるぞ……」
ＳＣＥＮＥ６
「痛い！パパ、耳を引っ張るのはやめてよ！」
「ちょっとこっちに来い！」
「耳を離して！痛いよ」
「今日お前がしたことは、ケリーに聞いた。ひとこと言っておく。間違っても、自分のことを優秀だなんて思うんじゃないぞ」
「はい。今日はたまたま運がよかっただけだってことは、よくわかってます」
「それならいい」
「……僕が泣いてたら、エリザベス先生が抱きしめてくれたんだよ。小さい時はよく抱きしめてもらってたけど、久しぶりだったなあ……痛い！パパ！頭を殴らないでよ。馬鹿になっちゃう」
「心配するな。お前はもうすでに立派な馬鹿だ」