ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ２４ 「Ｄr．ＲＹＵ」
ＳＣＥＮＥ１
ＥＲのラウンジ……。
濃紺の手術着に着替えたリュウイチは、紺地に白く『龍』の字を染め抜いた日本手ぬぐいを頭に巻いて、ぎゅっと結んだ。今日からリュウイチはインターン。ドクターとしての第一歩が始まる。首にかけた聴診器は、９年前のクリスマス、ドクター・マクダーモットにプレゼントされた物（ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ １ 「ＴＨＥ ＭＩＲＡＣＬＥ ＷＯＲＫＥＲＳ」）であった。いよいよこの聴診器を使う日がやってきたことに、リュウイチはもちろん感慨を覚えてはいたが、それにも増して、彼の心を占領していたのは、緊張と不安であった。能力的には昨日と今日では何も変わっていないのに、今日からは『ドクター』として扱われ、患者に対する責任も一人前に負わなければいけない。これは全部夢で、自分はまだ医学生だったらどんなにいいだろう。そんなことを考えながらリュウイチは、思わず聴診器を握り締めて祈った。
『……どうか患者を殺さないで、うまくやっていけますように……』
そこへグリーンが入ってきた。
「おはようございます」
「おはよう。”ドクター・リュウ”」
グリーンはロッカーに荷物を入れながら、にっこり笑って言った。
「初日からＥＲ？運がいいねえ」
「ええ。おまけに夜勤なんです」
「それは最高だ……ところで、ドクターとしての門出に、パパに何か言われた？」
「患者を殺すなって言われました」
ＳＣＥＮＥ２
「グリーン先生！交通事故の７歳の女の子が運ばれてきます！」
「わかった！リュウ、一緒に来なさい」
「はい！」
「ヘレエ、バッグして！僕はチェストチューブを入れるから、リュウはセントラルラインを入れて！」
グリーンはチューブを入れながら、リュウイチの胸元がきらりと光ったのを見て、目を凝らした。
『……鎖？……そうか……あの時のベビー・リングだな……』
「血圧８０の６０に低下！心停止！」
「ソラシールに８００cc出血してる……リュウ、開胸しなさい！」
「えっ！」
「どうした？できないの？」
「いいえ！」
スターナルソーを渡されたリュウイチは、大きく深呼吸をすると、一気に患者の胸を開いた。
「右心房に穴が開いてる！Satinskyをください！それと２−０のシルク！」
リュウイチは損傷箇所ををSatinsky鉗子でクランプし、素早く縫合した。
「よし！心臓がふくらんできたぞ！体内パドルを１０にチャージ。下がって！……同調律！……よくやった、リュウ！」
グリーンは、ぼう然と立っているリュウイチの肩をたたいた。
「君が助けたんだよ、リュウ。お見事！」
「ありがとうございます！」
やっとリュウイチが笑顔を見せた。
ＳＣＥＮＥ３
「呼吸促迫、酸素飽和度８４パーセント……酸素１０リットルを投与してください……体温３９度……」
リュウイチは、患者に聴診器をあてた。
「右の基底部に荒いラ音……肺炎だな……血算、血液培養、胸部写真、セフォタキシンの投与お願いします」
診察室を出たリュウイチは、廊下でウィーバーに呼び止められた。
「調子はどう？」
「朝からずっとどきどきしてます」
「何人診察したの？」
「ええと……交通事故の胸部外傷に虫垂炎、胸部痛、足の骨折、肺炎……５人です」
「どきどきしてる割にはたくさん診たわね」
「ええ、まあ……」
「ウィーバー先生！頭部外傷です！」
「いらっしゃい！リュウ！」
ＳＣＥＮＥ４
「２階の屋根から転落、頭部と胸部の打撲。呼吸困難。現場で挿管。瞳孔散大。血圧９０の６０」
「じゃあ移すわよ。１、２、３！」
「Ｏマイナスを４単位。頚椎、腰部、胸部の写真、外傷時の血液検査……左呼吸音減弱。リュウ、チェストチューブを入れて」
「はい！テンブレードと、３２フレンチをください」
「瞳孔は散大…………グラスゴースケールは５……」
「リュウ、頭部ＣＴを撮りに行ってちょうだい。５分毎に神経学的検査をして。血圧が落ちたら知らせなさい」
「はい」
ＳＣＥＮＥ５
「足がもつれて転んだんですって？飲むのはいいけど、ほどほどにしないと」
「うるさい！俺の勝手だあ！……よお〜〜姉ちゃん、胸、さわらせろよ〜〜」
「はいはい、どうぞご自由に。その代わり、動かないでくださいね。頭の傷を縫合しますから」
「ほんとにいいのか〜〜？」
「ええ、でも、さわっても楽しいかどうか……」
「へへっ〜〜…………うそだろっ！」
「酔いがさめましたか？」
ＳＣＥＮＥ６
時刻は午前２時……。
「カーター、胸を刺された患者が来るよ」
「ドクター・コバッチは？」
「スタンバイしてる」
仮眠室のベッドの上に起き上がり、思い切り伸びをしたカーターは、隣のベッドのリュウイチを起こそうとして、リディアにとめられた。
「こんなにかわいい顔して眠ってるのに、起こしたらかわいそう。だからあんたを起こしたのよ、カーター」
「…………」
ＳＣＥＮＥ７
「リュウ！起きて！交通事故の患者が５人！」
飛び起きたリュウイチは、あわててドアにぶつかった。
「ほらほら気をつけて……。まだちゃんと目が覚めてないね。足元がふらふらしてる」
リディアは持っていた紙コップの中身をリュウイチの背中にあけた。
「うわあああ！冷たいっ！……氷ですか？……いっぺんに目が覚めました……ありがとうございます……」
「どういたしまして」
ＳＣＥＮＥ８
「胸部と腹部打撲……呼吸音良好……右上腹部に圧痛と筋性防御……外傷時の血液検査……クロスマッチを４単位……胸部、頚椎四方向……超音波は……外傷１号で使ってるみたいだから、腹腔洗浄セットをください…………出血してるな……肝臓破裂の疑い！オペ室に連絡してください！」
「次の患者は……胸部打撲……血圧１３２の７４。脈拍１００……胸部写真と心電図はと……胸骨骨折に……ＳＴ上昇！」
「血圧９０の６０に低下！」
「心音が減弱したぞ！頸静脈が怒張してる！心タンポナーデだ！」
リュウイチは、外傷１号に飛び込んだ。
「コバッチ先生！胸部打撲の患者が心タンポナーデをおこしました！」
「僕もカーターも今手が離せない。心膜穿刺をやったことは？」
「あります……でも、いつもドクターと一緒だったし……」
「じゃあできる」
コバッチの言葉に、カーターもうなずいて言った。
「もう君はドクターなんだよ、リュウ」
ニードルのついたシリンジを握り締め、リュウイチは泣きそうになっていた。
『無理だよ……ひとりでなんて……』
手も足も小刻みに震えている。なにもかも放り出して、どこか遠くへ逃げ出したい。医者になるなんて、所詮、自分には無理だったんだ。
「患者を見殺しにするのか？ドラゴン」
驚いてリュウイチはあたりを見回した。しかし部屋には、自分と患者と、心配そうにこちらを見ているリディアしかいない。
『よし！どんな結果になっても、見殺しにするよりましだ！』
『左肋骨弓下縁と剣状突起下端との隅角部……ここから頭の方に向かって45度の角度で針を刺して……』
モニターを見ながら、リュウイチは慎重に針を刺していく。
『心膜に到達したぞ！ゆっくり引いて……よし！血液が抜けた！』
「血圧１１０の８０に上昇！」
「やった！」
「リュウ、右足どうかしたの？引きずってる」
患者の治療を終えて部屋を出ようとするリュウイチに、リディアが声をかけた。
「さっき外傷１号から戻って来る途中で、ストレッチャーに親指がぶつかったというか、ひかれたというか……患者が助かってほっとしたら、急に痛くなっちゃって……」
「大丈夫？手当て手伝おうか？」
「ありがとうございます。大丈夫です」
ＳＣＥＮＥ９
リュウイチは縫合室で自分の怪我の手当てを始めた。血に染まった靴下を脱ぐ。
「うひょ〜〜……痛いはずだ……爪がはがれてる……リドカインで麻酔しよう……」
手当てを終えたリュウイチは、指に包帯を巻きながらため息をついた。
「サンダルを探さなきゃ……」
ＳＣＥＮＥ１０
「おはよう、ルカ」
「おはよう、マーク」
「夕べはどうだった？」
「最初は暇だったけど、胸部の刺傷が来たあと、交通事故で５人も患者が運び込まれて……」
「そりゃあ、大変だったね」
「まあ、何とか」
「お疲れ様。ところで、リュウはどうだった？」
「よくがんばってたよ」
「そう、それはよかった……あれ？ケリーは何やってるんだ？」
「……リュウが泣いてるみたいだね……どうしたんだろう？」
ふたりから少し離れた廊下の真ん中で、ウィーバーがリュウイチに何か話をしていて、リュウイチが手で目をぬぐっているのだ。やがてウィーバーはリュウイチを軽く抱きしめたあと、こちらへやってきた。
「ケリー、リュウは夕べ大活躍だったみたいだし、少々のことは許してやったら？」
「何も泣くまで叱らなくても」
ウィーバーはきょとんとして言った。
「リュウを叱ったりなんかしてないわよ」
「だって、彼泣いてたじゃないか」
「ああ、あれはね……」
ウィーバーはため息をついた。
「リュウがストレッチャーにひかれて、右足の親指の爪をはがしたらしいんだけど……そこに、この杖が当たったの……」
「……それは痛いよ。僕でも泣いちゃうね」
「……僕も泣くよ。かわいそうに」
ＳＣＥＮＥ１１
「リュウ、まだいたの？」
「あ、フィンチ先生。ええ、夕方６時までの３２時間勤務です。だからあと４時間」
「さすがはインターンね。ちょうどよかった。高熱を出して意識混濁の５歳の子どもが搬送されてくるの。手伝って」
「はい」
「血圧９０の６０、脈拍１４０。点滴が入らない」
「敗血症か髄膜炎かもしれないわね。血算、生化学、血液培養……痛みの刺激に反応しない……ひどい脱水。大量輸液が必要だわ……これじゃあセントラルラインもだめそうね。リュウ、静脈切開をして」
「はい！」
「生食２リットル……尿道カテーテル……検尿……腰椎穿刺をするわ……でも、リュウがドクターになったら便利ねえ。上から外科医を呼んでこなくても静脈切開してもらえるし」
「いいえ、僕なんて、まだまだです……」
「だってちゃんとできたじゃない」
ＳＣＥＮＥ１２
勤務終了まであと２時間。リュウイチはカルテを見ながら廊下を歩いていた。
「……スケボーで転倒。左上腕部に痛み……骨折か捻挫か……頭は打ってなさそうだな……」
その時ちょうど廊下でエリザベスと立ち話をしていたロマノが、
「オペがあるからもう行くが、いいかリジー！わかったな！私の言う通りにしないとクビだぞ！」
と言いながら、エリザベスの方をにらみつけたまま、後ろ向きに３歩歩いたところで、思い切りリュウイチにぶつかった。
「気をつけろ！……なんだ、お前か……ちゃんと働いてるのか？患者を殺したりしてないだろうな……おい、どうした？」
ロマノは、黙ってぽろぽろと涙を流しているリュウイチに驚いた。
「リュウはストレッチャーにひかれて、足の親指の爪をはがしちゃったの！」
エリザベスが血相を変えて言った。
「どじなやつだなあ」
「それをあなたが今思い切りふんづけたの。しかもかかとで」
「……すまん……痛かったか？」
「当たり前のことを聞かないで！痛いに決まってるでしょ！なんてかわいそうなことをするの！」
「わざとしたんじゃない。それにリュウ、なんではっきりそう言わないんだ。泣いてちゃわからんだろう」
「痛くて口がきけないのよ。そんなこともわからないの？ロバート」
「俺が踏んだのは君の足じゃないぞ、リジー。どうしてそんなに言われなきゃならないんだ！」
「あなたがあんまりリュウにひどいことをするからよ！」
今朝のウィーバーの杖などかわいいものだった。ロマノの全体重が、リュウイチの親指にかかったのである。よく目から火花が出るというが、それどころではない。一瞬、目が火炎放射器になったのかと思ったほどであった。そして本当に痛いときは、声が出ないものなのだということがとてもよくわかった。そのかわり、涙と鼻水が盛大にあふれでた。今や活火山のようにずきずきと脈打っている足を引きずりながらリュウイチは、言い争いを続けているロマノとエリザベスの側から離れた。
ＳＣＥＮＥ１３
「ねえ、ランディ。今日は何かあるの？」
「何も聞いてないよ、チェン先生」
「だってＬサイズのピザが３箱も」
「さっきからここに置いてあるんだ」
「あら、リュウ」
「オフなので、お先に失礼します」
「お疲れ様」
リュウイチはピザの箱をかかえると、足を引きずりながら、ラウンジの方へと立ち去った。
「リュウの晩御飯だったんだ」
「そうみたいね」
ＳＣＥＮＥ１４
家に帰るために着替えようと、アビーがラウンジにやってきた。
「あらあら……」
ピザを一切れ握ったまま、テーブルにつっぷしているリュウイチを、アビーはほほえみながら見ていたが、やがてはっとしてリュウイチの頸部に手を触れた。
「僕もさっき脈をみたよ。ピザをのどに詰まらせて死んでるんじゃないかと心配になって」
「……グリーン先生！……びっくりした」
「ごめん」
「いいえ、いいんです。でもぴくりとも動きませんね」
「インターンの初日。しかも夜勤で３２時間勤務だったから」
「それじゃあ食べかけたまま寝ちゃうのも無理ないわ」
「でも、それが最後の一切れなんだよ。あとちょっとってところで、睡魔に負けちゃったらしい」
「すごいわ。Ｌサイズを３枚ひとりで食べちゃうなんて……ほこりがついちゃう」
アビーは、リュウイチの握っているピザを、箱にしまってやろうとした。
「しっかり握り締めてるから、とれないと思うよ」
「ほんとだ。よっぽど大事なのね……口のまわりがソースだらけ。子どもみたい……ふふふ、かわいい顔して眠ってる……」
９時間後、午前５時から今度は外科で、３６時間勤務がリュウイチを待っていた……。
ＴＨＥ ＥＮＤ
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