THE GENTLE DRAGON

 

 

 

SIDE STORY 6  「A RAINY DAY」

 



SCENE1
 その日、シオンは怒っていた。数学者としてはまだ駆け出しのシオンは雑務も多く、仕事が山積みになっており、1分の時間も惜しい状態であったのに、大学のセレモニーホールの落成記念の、ピアノ・コンサートとやらに出席させられたのだ。その上、学生に預けていたリュウイチを受け取って家に帰る途中、どしゃぶりの雨になった。自分ひとりならば濡れて帰るのだが、リュウイチに風邪をひかせてしまってもいけない。シオンはリュウイチを抱いたまま、道路沿いの建物の陰で雨宿りをするはめになってしまった。しかし、もう30分近くになるのに、雨足は一向に弱くならなかった。シオンのいらいらは、最高潮に達していたのである。

 『何よ!天気予報では、雨になるだなんてひとことも言ってなかったじゃないの!ほんっとに、もう!だいたい、コンサートなんてあるからいけないのよ。くそおもしろくもないピアノを2時間も聞かされて……うるさくて、数学の問題にも集中できなかったし……コンサートさえなければ、もっと早く帰れて、雨にあうこともなかったのに……そうよ!私が今こんなひどい目にあってるのは、コンサートのせいよ。それにあのピアニストにも責任があるわ。確か日本人って言ってたわね、なんていう名前だっけ……』

 「よかったら、俺のかさに入らないか?」
あまりにも怒っていたため、シオンはすぐに返事をすることができなかった。そうとは知らない男は、小首をかしげてシオンの目をのぞきこむようにし、人なつっこい笑顔を浮かべた。このポーズは、数々の実績を誇る、いわゆる『ナンパのための必殺技』なのである。
「心配しなくても、俺はあやしい者じゃない。ピアニストで、シュウ・タカミザワっていうんだ」
『こいつだわ!さっきのピアニストは!』

 「パパ……」
シオンに抱かれていたリュウイチが、シュウに手を伸ばした。
「何言ってるの。あなたにパパはいないでしょ」
『やった!人妻じゃないんだ!すげえ美人だし、なんて俺はラッキーなんだろう!』
数十分後に自分の不幸を嘆くことになるとも知らず、シュウは脳天気にも大喜びで、リュウイチを抱きとった。
「おじょうちゃん、こっちにおいで……ママにそっくりだな……なんてかわいいんだ……歳はいくつ?」
「2歳。女の子じゃないわ。男の子よ」
「えっ!女の子にしか見えないな。……じゃあ、行こうか」



SCENE2
 シュウはシオンの気を引こうと、歩きながらぺらぺらとしゃべったが、シオンはそれをほとんど無視した。そして、アパートの入り口まで来ると、さっさとリュウイチを受け取った。
「どうもありがとう。じゃあ、さよなら」
『それはないだろう』
と思いながら、シュウはその端正な顔を少しゆがめて、額にかかる前髪をかきあげながら言った。ちなみにこのしぐさは、『必殺技第2弾』である。
「君の瞳にハートを射抜かれてしまったんだ。これは運命の出会いだと思う。君もそう思わないか?」
「いいえ」
にべもなくはねつけ、シオンはくるりと背中を向けて、アパートへ入ろうとした。あわてたシュウは、実力行使に出た。背後から抱きしめたのだ。
「待って、行かないでく……うっ!」

 シオンのひじ鉄が、シュウのみぞおちに入った。そして向き直ったシオンが突き出した右のこぶしが、鼻にクリーン・ヒットし、シュウはそのまま仰向けにひっくり返ってしまった。
「あらあら、気絶しちゃった。でも、あなたが悪いのよ……脈はあるし、息もしてる。ここなら雨も降りこまないし、今の季節なら凍死することもないわ。まあ、風邪はひくかもしれないけど、それは自業自得っていうものよね」

 リュウイチが泣き出した。
「パパといっしょにおうちにかえる……」
「リュウ、何度いったらわかるの?こいつはパパなんかじゃないのっ!ママを襲おうとした狼なのよ」
リュウイチはシオンの腕からすべりおりると、シュウにすがりついて泣き続けた。



SCENE3
 シュウはうす目をあけた。天井が見える。鼻の上には濡れタオルが置かれていて、口の中は血の味がした……。
『……いったい、俺はどうしたんだ?……あっ!そうだ!』
飛び起きたシュウは仰天した。手足がロープで縛められているのだ。
「目が覚めた?」
「わあっ!」
シオンの手には包丁が握られている。
「助けてくれ!お願いだ!俺が悪かった!」
「もう変な気は起こさない?」
「ああ、誓う。あんなことをしたのは、君がとても魅力的だったからで、いつもの俺は、とっても品行方正なんだ」
「うそばっかり」
「……ごめん」
思わずシオンは吹き出した。

 「リュウに感謝しなさい。あの子があなたにすがりついて、あんまり泣くもんだから、家に入れてあげたのよ。ちなみに、私は空手3段なの。あなたよりうんと強いと思うわ。大事な指をへし折られたくなかったら、行動には気をつけることね」
シュウはかくかくと、何度もうなずいた。
「今、食事の支度をしてるんだけど、食べるでしょ?」



SCENE4
 「うおーっ!肉じゃがにご飯!いただきますっ!……うまいっ!何年ぶりだろう!……え?でも、どうして?」
「私、日本人なの」
「そうは見えない」
シュウは、すごい勢いで肉じゃがとご飯を口に詰め込みながら言った。
「ハーフなのよ」
「名前聞いてもいいかな?」
「ええ。ウエハラ・シオンよ」
「シオンって花の紫苑?」
「そうよ。この子はリュウイチ。『龍一』と書くの」
「俺のシュウは『秋』と書く。……日本語で話してもいいか?」
「いいわよ」
「ああ……日本語も久しぶりだ……」



SCENE5
 リュウイチがシュウにまとわりつく。
「パパ……抱っこ」
「リュウ、何度言ったらわかるの……パパじゃないのよ」
シュウは、リュウイチを抱き上げながらたずねた。
「パパはいないって言ってたな」
「ええ、その子が生まれる前に別れたの。お互いの仕事の都合でね。彼はリュウが生まれたことを知らないのよ」
「へえ、そうなのか……そろそろ、俺、帰るよ」
「その顔で?」
「え?」
鏡を見て、シュウはうなった。シオンのパンチが炸裂した鼻のあたりが、盛大にはれあがっていたのだ。
「このソファーでよかったら、泊めてあげてもいいわ。寝室は内側から鍵がかかるから」
「ありがとう」



SCENE6
 次の日になっても、シュウの鼻のはれはひかなかった。
「今日は私、家で仕事だから、もう1日おいてあげてもいいわ。ただし、昨日のような目にあいたくなかったら、仕事中は私に絶対声をかけないで」
「わかった……仕事って?」
「私、数学者なの」

 シュウは一日、リュウイチのおもりをして過ごした。昼食の時間になっても、シオンが仕事をしていたので、冷蔵庫の中の物で適当に作り、リュウイチにも食べさせる。リュウイチはあまり手のかからない、聞き分けのよい子で、そして何よりかわいらしかった。リュウイチがその小さな手でしがみついてくると、心がとろけてしまいそうになる。早い話が、シュウはすっかりリュウイチのとりこになってしまったのであった。



SCENE7

 「今日はリュウの面倒をみてくれてありがとう。おかげで仕事がはかどったわ」
「俺たち一緒に暮らせないか?」
「え?何ですって?」
「……俺、リュウのことがかわいくて、リュウと離れたくないんだ。これはほんとだ。うそじゃない。……だめか?」
「……」
「……俺、実は無精子症なんだ。おたふく風邪が原因らしい……。今までは、子どもを作れないのはかえって好都合。遊びまくってやるって……まあ、そのう……色々楽しんできた。でもリュウと一日過ごして、俺、自分の本当の気持ちが初めてわかったんだ。自分では強がって否定してたけど、やっぱり子どもが欲しかったんだって……。自分の子どもが望めないのなら、俺はリュウの父親になりたい……」

 「わかったわ。OKよ」
「ほんと?ほんとにOK?」
「ええ、OKよ」
「ありがとう!」
「……ちょっと聞きたいんだけど……」
「何だ?」
「一緒に暮らしたい理由って、リュウだけ?」
「もちろん、強くて美しいママがいるからにきまってるだろ」
「あなたの気持ちはよくわかったわ」
「?」
「『強い』が一番先にきて、『やさしい』がなかったわ」
「いや、だって、空手……あわわ……リュウ、こっちにこい」
「リュウを盾にするの?それってひきょうだわ」



SCENE8
 シュウは、ニューヨークの住まいに一旦帰ることになった。
「ちょっと荷物をとってくる。それから……女たちと別れてくる……」
「『女たち』?いったい何人いるの?」
「ええっと……ははは……たくさん」
「どうやって別れるの?」
「運命の人に出会ったって言うのさ」
「……シュウ、あなた、みんなに『君は運命の人だ』って言ってるんじゃないの?私と最初に会ったときも、そんなこと言ってたわ」
「……」
「刺されたり、撃たれたりしないように気をつけてね」
「ああ、わかった」



SCENE9
 「……シュウ!この家、どうしたの?」
「買ったんだ。君のアパートじゃ、荷物が入らないから」
「荷物って?」
「こいつ」
とシュウはグランドピアノを指差した。
「家をぽんと買うなんて、もしかしてあなたってお金持ちなの?ひょっとして『女たち』に貢がせたお金とか?」
「え?い、いや、親の遺産さ」
「ほんとなの?あやしいもんだわ」

 「とにかくここで一緒に暮らそう。さあリュウ、俺がピアノを教えてやるぞ。リュウはピアニストになるんだもんな」
「ちょっと待って。リュウは数学者になるのよ」
「この指はピアニストの指だ。ピアニストはいいぞ。女にもてる。リュウほどの美貌でピアノがうまければ、一生女には不自由しない」
「女、女って、リュウは、あなたみたいな女たらしにはさせないわ」
「女たらしだって?何だそれ。俺は女たらしじゃない。女の方が勝手に寄ってくるんだ」
「寄ってこようがこまいが、女たらしは女たらしよ」
「いや違う。自分から女の方に寄っていくのが女たらしで、女が寄ってくるのは女たらしとは言わない。シオンの言い方だと、相手がくれるといってもらった金も、泥棒したことになる。数学者のくせに、論理的におかしいぞ」
調子にのって言ってしまった瞬間に、そこは百戦錬磨のシュウのこと、自分の犯した過ちに気付いたが、時すでに遅く、シオンは一気に噴火してしまった。

 あっという間に抱いていたリュウイチを奪われ、逃げようとしたが、えり首をつかまれ、振り回される。そして、挙句の果てに、背中に蹴りが入り、シュウはうつぶせに倒れたままもがいた。あまりの痛みに息が詰まる。
「ま、待ってくれ!俺が悪かった!頼む!許してくれ!」

 「ごめんなさいと言って!」
「ごめんなさい」
「ほんとに悪いと思ってる?」
「思ってる」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「じゃあ、この紙に50回『ごめんなさい』って書いて」
「え?」
「書いて」
「50回も書くのか……言うのじゃだめなのか?」
「50回も言ったらうるさいでしょ。書くの?書かないの?」
「書く」
「ていねいにね」
「ああ」
「返事は『はい』でしょ」
「はい」

 シュウはグランドピアノの上に紙を置き、げほげほとせきをしながら『ごめんなさい』を書き始めた。せきをするたびに背中がうずく。
『……俺としたことが、ついむきになって、間違いを指摘してしまった……これからは絶対に気をつけよう。そうしないと、きっと俺はいつかシオンに殺される……』

 「私に負けてくやしいんだったら、あなたも空手を習ったら?ロバートはそうしたわよ」
「ロバートって?」
「リュウの本当のパパよ。ささいなことで言い争いになって、私がなぐったら気絶しちゃったの」
「かわいそうに……」
「女になぐられて気絶したのが、よっぽどショックだったみたいで、自分も空手を習い始めたのよ」
「へえ」
「シュウも習えば?」
「俺は遠慮するよ。ピアニストは指が命だからな。それに、俺、別にくやしくない。……リュウの本当のパパって何してる人?」
「外科医よ。それもすご腕のね。だから、リュウも将来外科医になるって言い出すかもしれないわ」
「外科医か……それもいいかもしれないな。女にもてそうだし」



SCENE10
 半年後、シュウとシオンは結婚した。
「シオン、俺は君とリュウに出会うまで、今日が楽しければそれでいいっていう生き方をしてきたけど、これからはしっかり地に足をつけて、ふたりを守っていくつもりだ」
「無理しなくてもいいわ、シュウ。私はあなたのケ・セラ・セラな性格が好きで結婚したのよ。だからそのままでいて。大丈夫。はめをはずしすぎた時は、私がちゃんと軌道修正してあげる」
『それってすごくこわいよな……』
と思いながら、シュウは言った。
「ありがとう、シオン。じゃあ、これだけは約束する。君だけを見つめて生きていくよ」
「あら!すごい美人!」
「えっ!どこだ!」
「シュウ!」
「ごめん。ちょっと訂正だ。浮気は絶対にしない。でもよそ見は許してくれ」
「もうっ!調子いいんだからっ!」


THE END


 お読みいただきありがとうございましたm(_ _)m
 シュウですが、最初は、ちょっとダグに似た渋くてかっこいい人になる予定だったんですが、書いているうちに、全然違ってしまいました(爆)
 次回はたぶん年忘れ企画になると思いますが、もしかしたらその前にもうひとつ書くかもしれません(^_^;年忘れ企画の次は新年エピです(^^)よろしくお願いいたしますm(_ _)m

トップページへ