ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ５９ 「ＴＨＥ ＢＬＵＥ ＳＫＹ」
ＳＣＥＮＥ１
「私のかわいいおちびちゃん！」
露骨にいやな顔をしているロマノを、ビクトリアはぎゅうっと抱きしめた。
「ビッキー、その言い方、いいかげんにやめてくれ」
「あら、いいじゃないの。こんなふうに呼ぶ人、他に誰もいないでしょ」
ふふんとビクトリアは鼻で笑った。カウンティならとっくに怒鳴り散らしているところだが、亡兄ジュリアンのガールフレンドだったビクトリアには、なぜか手も足も出ないロマノなのである。
「あら、私のかわいいおちびちゃん第２号は？」
「夕方の便で来る」
「どうして」
「あいつは２年目のレジデントだぞ。ぎりぎりまで勤務するのが当たり前だ」
「その調子だと、ひょっとして夜勤明けで連続シフト？」
「当然だな」
「かわいそうに」
胸をそらすロマノに、ビクトリアが眉をひそめた。
「でもリュウがドクターになるだなんて。ロバートがおどしたの？」
「まさか、あいつが勝手に言い出したんだ。おとなしくピアニストか数学者をやってりゃいいものを」
「あいかわらず素直じゃないわね、うれしいくせに」
「うれしいもんか。患者を殺しゃしないかって、毎日ひやひやさせられてるんだぞ」
「へ〜え、やっぱり息子のことは気になるんだ」
ロマノは口をつぐんだ。いつものことながら、ビクトリアとの会話は分が悪い。
学会帰りのロマノが、ニューヨークに立ち寄ったのだった。ビクトリアのたっての願いで、リュウイチも交えて食事をすることになっている。
ＳＣＥＮＥ２
リュウイチはヴィールシャンク（子牛すね肉のグレーズ）をおいしそうにほおばった。ＷＴＣ北棟107階のレストラン『ウィンドウズ・オン・ザ・ワールド』。世界一の展望レストランである。
「何度来てもここの夜景はすごいな……おい、食ってばかりいないで、外を見てみろ」
「ロブスターチャウダーも最高……痛いっ！」
むこうずねを蹴飛ばされて悲鳴を上げる。
「だって、今朝食べたきりなんだもの」
「かわいそうなおちびちゃん、たくさん召し上がれ」
「は〜い」
「調子にのるなよ」
「いいじゃないの、ロバート」
「いいや、ほうっておいたら牛一頭食べかねんやつだからな」
「まさか、大げさねえ」
「こいつのせいで、エアフォース・ワンは、東京で大量の食材を補給するはめになったらしい」
「うそ」
「ほんとです」
３人前ほどたいらげてやっと人心地がついたリュウイチは、口のまわりをぬぐいながら夜景を眺めた。
「大きな宝石箱を引っくり返したみたい。ほんとにきれいだね」
「今ごろ言うな」
ＳＣＥＮＥ３
涼しい風が吹く気持ちのいい夜だったので、３人は途中でタクシーを降り、ぶらぶらと通りを歩いた。今夜はビクトリアの家に泊めてもらう予定なのだ。
突然後方からサイレンが聞こえたと思ったら、消防車がものすごい勢いで走り去った。後ろに救急車が続く。リュウイチは道路に飛び出し、もう一台やってきた救急車に向かって両手をふった。
急停車した窓から救命士が顔を出して怒鳴った。
「ヒッチハイクなら他のやつに頼め！」
「僕は医者です。乗せていってください」
「あとふたり追加だ！」
うしろからロマノが怒鳴った。
火災現場は、裏通りの６階建ての古いアパートだった。３階の部屋から炎が噴き出している。懸命の消火作業が行われていた。ひとり、またひとりと住人が助け出される。
「リュウ！こっちへ来て気管切開を手伝え！」
「はい！」
リュウイチはすばやく挿管すると、救命士にバッグを頼んだ。ビクトリアは、待ちきれずに飛び降りてしまった男性の治療をしている。
「途中でベランダにひっかかったのがラッキーだったわね。チェストチューブをちょうだい」
鎮火したのは１時間後、リュウイチたちの応急処置も、ひと段落着きそうだった。
「ドクター・オルポート！」
ビクトリアが顔を上げる。顔見知りの救命士だった。
「あら、ディック。そういえば、こっちに配属になったんだったわね」
「ええ、どうしてこんなところに？」
「偶然通りかかったのよ。セントラルラインを入れるわ」
「ビッキー！どうだそっちは。手伝おうか？」
「大丈夫よ！」
「ふう、これで終了」
患者が救急車に乗せられるのを見送って、ビクトリアは大きなため息をついた。
「あのう……ビッキー？」
「そうだけど、あなたは？」
消防士はにっこり笑った。
「ロジャーだよ。ロジャー・ファウラー」
「まあ、ロジャー！」
ビクトリアはロジャーに抱きついた。
「さっきオルポートって名前と、ビッキーって言うのが聞こえたから。もしかしたらって」
ＳＣＥＮＥ４
「やっぱりドクターになったんだ」
ロジャーはふっと顔をくもらせた。
「ええ、アディントンのＥＲに勤めてるの……そうそう、これ、誰だかわかる？」
ビクトリアはちょうど側にやってきたロマノを、前に押し出した。ロジャーはあごをなでながら考えていたが、かぶりをふった。
「キャップをかぶってれば、きっとわかったわね」
「おい、ビッキー。どういう意味だ」
「違うわよ、ロバート。あのころあなたはいつもキャップをかぶって、ジュリアンのうしろにくっついてたじゃない」
「……ロバートってジュリアンの弟の？」
表情が一変する。しぼりだすように言った声はしゃがれていた。
「ロジャーだ、ロジャー・ファウラー。俺のせいで君の兄さんは死んだ」
ロジャー・ファウラー、それはあの夏の日、不良にからまれていたのをジュリアンが助けた少年だった。そしてジュリアンはその不良に刺されて亡くなったのである。
「会えてうれしいよ、ロジャー。どうしてるかって、ずっと気になってたんだ」
差し出された右手を、ロジャーはとまどいながら握った。
「ロバート、君に謝らなきゃ」
「そんな必要はないさ。兄貴が死んだのは、ロジャーのせいじゃない」
「いや違う。俺をかばわなければ、ジュリアンは刺されなかった」
「違わない。悪いのはデレクだ。他の誰も悪くない」
ロマノはきっぱりと言い切り、胸を張ってロジャーの目を見つめた。ロジャーは顔をくしゃくしゃにしてロマノを抱きしめる。
「ありがとう」
泣きじゃくるロジャーの背中を、ロマノはとんとんとたたいた。
ＳＣＥＮＥ５
道路の縁石に、３人は並んで腰を下ろした。リュウイチは少し離れたところでしゃがんでいる。
「あのあと、親父の借金のせいで町を出なきゃならなくなって。俺は住み込みで働いたりしたんだけど、続かなくてね。あちこち転々とした」
兄貴のせいだなとロマノは思った。ずっと自分を責めていたのだろう。
「ニューヨークへ流れてきて、ふっと消防士になろうって思ったんだ。人の命を助ければ、それが少しでもつぐないになるんじゃないかって」
「つぐなう必要なんてないわ。だってあなたが悪いんじゃないんだもの」
ビクトリアがほおにキスをし、ロマノは肩に手を回した。
「おおい！ロジャー！」
仲間に呼ばれて、ロジャーは勢いよく立ち上がった。
「このとおり、今ではすっかり天職さ」
消防車に乗り込もうとするロジャーに、ロマノが言った。
「３人で一緒に飲もう」
「そりゃいいや。明日の９時はどうだ？」
「賛成！」
「ロバートもドクターになったのか」
「ああ、俺も天職だと思ってる」
走り去ろうとする消防車から、ロジャーが手を振った。晴れやかに笑っている。ロマノもビクトリアも笑顔で振り返した。
「僕も明日、一緒に飲みに行っていいですか？」
「大歓迎よ」
「何を寝ぼけたこと言ってるんだ。明日の９時は、お前カウンティで夜勤だぞ」
「えー」
ＳＣＥＮＥ６
グラウンド・ゼロ正面の、金網上部に設置されているモニュメント。そこに刻まれているロジャーの名前を、ロマノは見つめた。ウィスキーのミニボトルを取り出し、中身を地面にたらす。ちょっとかかげて、自分もひと口飲んだ。
結局、かわした約束が果たされることはなかった。９月１１日夜のささやかな飲み会……。
あの日、ロマノはリュウイチとともに、ビクトリアがＥＲ部長をつとめるアディントン総合病院で治療にあたったあと、夕方、現場に行ったのだ。
リュウイチはぼう然と立ちつくした。こんなことが現実に起こるなんて。食事をしてから２４時間たっていないのに。
「消防士のロジャー・ファウラーを知らないか？」
ロマノの声で我に返る。リュウイチもロジャーの安否を尋ねて回った。
やがて、ロジャーはＷＴＣ１の崩壊に巻き込まれて亡くなったということがわかった。
「朝会ったとき、あいつ、今夜は古い知り合いと飲むから早く帰って寝なきゃって。何十年ぶりかでぐっすり寝られそうだって言ったんだ。すごくいい笑顔だった。なんであいつが死ななきゃならないんだ」
同僚はそう言うと顔をおおった。ロマノは足元を見つめ、くちびるをかみしめた。リュウイチの目に涙が盛り上がる。
たくさんの人が、いきなり命を奪われた。こんな理不尽なことがあるだろうか。テロはこの世で一番卑劣な行為だ。リュウイチはぎゅうっとこぶしを握りしめた。
「ロバート」
「やあ、ビッキー」
「あれからもう５年たつのね」
「ああ」
「ラナもマックスも元気よ」
ラナはロジャーの妻、マックスは息子で今年１２歳になる。
「そうか」
「あいかわらずマックスの誕生日とクリスマスに、匿名でプレゼントとお金が届いてるんですって」
「へえ」
『とぼけちゃって』
横目で見ているビクトリアの視線をはずすように、ロマノは空を見上げた。あの日と同じ青い空を。
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
ビクトリアをニューヨークの病院勤務にしたのは偶然だったのですが、いつか９１１の話を書きたいと思っていました。
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m