ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ５０ 「ＦＯＵＲ ＳＥＡＳＯＮＳ ”ＳＵＭＭＥＲ”」
ＳＣＥＮＥ１
「じゃあな、ロバート」
「じゃあ、また明日」
ロマノは力いっぱい自転車をこいだ。急がないと夕飯に遅れてしまう。夏の日は長い。つい遊びすぎて、遅くなってしまったのだった。
まだあたりの空気は熱をはらんでいたが、自転車で風をきって走るのは爽快だった。ふたりの兄が使ったおふるを、ちゃんと整備して色も赤く塗りなおした。ロマノにとっては大切な愛車、気のいい相棒なのである。
ガレージには、車もバイクも自転車もそろっていた。ロマノ以外の全員が帰宅しているということだ。これはちょっとまずいかもしれない。
「ただいま！」
「おかえりなさい。ロバート、手を洗って、お皿を運んでちょうだい」
「は〜い。ママ、今日の晩ご飯はなに？」
アイリーンがほほえむ。
「ミートローフよ」
「やったあ！」
ロマノはこぶしを突き上げ、歓声をあげた。
ＳＣＥＮＥ２
「今日も野球か？ロバート」
「うん。パパ、僕ね、ホームランを３本もかっとばしたんだ」
「そりゃあすごいな」
ロマノ家は、父のフィリップと上のふたりの息子、ジュリアン（１８歳）、アンドリュー（１５歳）が金髪で青い目。母のアイリーンと末っ子のロマノ（１１歳）が、赤毛で黒に近い茶色の目をしている。
「ピッチャーは誰？」
ジュリアンが、サラダを自分の皿にとりながらたずねた。
「えっとね、ビリー」
「ビリーって、ビリー・バレット？」
「そうだよ」
「へえ、あいつから３本も打っただなんて、すごいじゃないか」
「ビリー・バレットって？」
「あのね、ママ。同級生にエドウィン・バレットって野球部のやつがいるんだけど、そいつの弟。エドウィンは野球で大学に行くし、弟のビリーもなかなかの逸材らしい。たしかアンディと同じ歳じゃなかったかな」
「あ、いっこ下なんだ。僕よりでかいけど。あいつちっちゃいときから野球がうまくてさ、みんなから一目置かれてる」
「じゃあ、うちのおちびさんは、逸材より逸材ってことか？」
フィリップが、ロマノの髪をくしゃくしゃとかきまわした。ロマノは得意そうに胸をそらしたが、みんながロマノの顔を見てふき出した。
「まあ、ロバート。口のまわりがソースだらけよ」
ＳＣＥＮＥ３
「お兄ちゃん」
ロマノが屋根への上がり口から顔をのぞかせた。
「そっちへ行ってもいい？」
「ああ、おいで。すべらないように気をつけろよ」
ジュリアンはロマノの手をつかんで、自分のとなりに座らせた。反対側にはアンドリューが座っている。
夜風がほてった身体に心地よい。屋根の上は夏の夜の、ロマノ３兄弟のお気に入りの場所だった。
ロマノはジュリアンに身体をもたせかけ、ジュリアンは弟の肩を抱いた。ジュリアンは９月の新学期からハーバードに進学する。お兄ちゃん子のロマノは、それを考えるだけで、もう涙ぐんでしまうのだった。
「ロバート、９月からは、寂しいときやこわい夢をみたりしたときは、俺の部屋へ来いよ。一緒に寝てやるから」
「ありがとう、アンディお兄ちゃん」
「なあ、ロバート。感謝祭には帰ってくるから。３ヶ月なんてあっという間だ」
「うん」
「俺だってお兄ちゃんが行っちゃったら寂しいけど、めでたい旅立ちなんだからさ。元気出せよ、ロバート」
「うん、わかってる」
だが、ロマノはしくしくと泣き出した。ジュリアンがいないこれからの生活を思い浮かべたらしい。ジュリアンとアンドリューは、顔を見合わせほほえんだ。ジュリアンはロマノの頭にキスをする。
「ねえ、お兄ちゃんは外科医になるんでしょ？」
「うん、そのつもりだ。パパみたいに心臓外科にすすむかどうかはまだきめてないけどね。アンディはどうするんだ？」
「大学は、オーストラリアに行こうかと思ってる」
「へえ」
「むこうで蘭の原種の研究をしたいんだ」
「アンディは植物学者かあ……ロバートは将来何になる？」
「プロ野球選手」
「そりゃあいいや、なあ、アンディ」
「うん。チケット送ってくれよ、ロバート。見に行くからさ、お前の試合」
ＳＣＥＮＥ４
「ビッキー、悪いね。今日はベビーシッターのアルバイトなんだ」
ジュリアンは、満面の笑みを浮かべているロマノの頭をなでながら言った。
「かまわないわよ、弟連れデート。ロバートなら大歓迎。おはよう、私のかわいいおちびちゃん」
ビクトリアはロマノを抱きしめた。
ビクトリアはジュリアンのガールフレンドで、２年前から付き合っている。９月からは同じ大学に進学することになっていて、彼女もドクター志望だった。
ビクトリアは車の助手席に座り、ロマノは後部座席に陣取った。袋をがさがさといわせながら、クッキーをほおばる。
「おい、ロバート。食べるのはいいけど、かけらをあんまりこぼすなよ」
「うん」
「いいわよね、ちょっとくらい。あ、私にもクッキーちょうだい」
ビクトリアが手をのばす。
「ジュリアンも食べる？」
「うん」
「じゃあ食べさせてあげる」
「ひゅーひゅー、見ちゃいられないね」
「こいつ！」
ジュリアンは、ロマノの頭を小突いた。
「痛いよ！お兄ちゃん！」
「ちょっと、ジュリアン！ちゃんと前を見て運転して！」
ＳＣＥＮＥ５
遊園地からの帰り道、車の中でロマノは眠ってしまっていた。
「かわいい寝顔」
ビクトリアがほほえむ。
「おおはしゃぎだったからな。くたびれたんだろう。今日はごめんね、ロバートを連れてきてしまって」
「いいのよ。とっても楽しかったわ」
「俺が９月からいなくなるから、ロバートのやつ最近元気なくてね。よく涙ぐんでるんだ。だからできるだけ一緒にいてやろうと思って」
「私ならいいの。ふたりきりのデートはこれからいくらでもできるし、ロバートといっぱい遊んであげて」
「ありがとう」
「でも、ロバートってかわいいわ。観覧車にふたりで乗れって。あれ、気をつかってくれたのよね」
「だろうな。こいつは甘えん坊で泣き虫で、やさしいやつなんだよ」
「あなたが家を出たら、寂しくて泣いちゃうんだろうな。かわいそう」
「俺も、いちばんこいつのことが気がかりなんだ」
ＳＣＥＮＥ６
「さあ、ピザが焼けたわよ」
「うまそうだな。おおい！ジュリアン、アンディ、ロバート。昼ごはんだぞ！」
「いいにおいだね」
「おいしそう」
「さあ、焼きたてのうちに食べましょう……あら？ロバートは？アンディ」
「さっきまで、そのへんをうろうろしとったぞ」
「野球の練習試合があるからって、ちょっと前に急いで出かけたよ」
「お昼を食べてからいけばいいのに」
「友だちと、ハンバーガーを買って食べるってさ」
「ハンバーガーより、ママのピザの方がずっとうまいのにな」
「ほんとだよ。さあ、食べよう」
「いただきまーす」
ピザをほおばったロマノ家の人々は、いきなり襲ってきた目のくらむような辛さに絶句した。次の瞬間、口の中が火事になる。
「うわあ！」
「なにこれ」
急いでグラスに入ったアイスティーをがぶのみする。しかし、火は鎮火するどころか、一段と勢いを増した。
「どうしてアイスティーが辛いの？」
みんなはうがいをするため、キッチンに駆け込んだ。
「ふう」
やっとひとごこちがついたジュリアンは、まゆをよせた。
「……あ！これ見て！」
ゴミ箱から、タバスコのあきびんを２本ひろいあげる。
「……ロバートのしわざだな」
フィリップがうなった。
キッチンの外でカタンという音がし、みんながいっせいに窓に走り寄る。ロマノが一生懸命ガレージの方へ走っていくのが見えた。
「アンディ！来い！」
ジュリアンとアンドリューはガレージから自転車を引っ張り出して飛び乗ると、ロマノを追った。
ＳＣＥＮＥ７
しばらく後、ジュリアンがロマノを横抱きにして帰ってきた。どすんとソファーに放り出す。
「犯人を確保しました」
「ご苦労」
向かいのソファーに座ったフィリップとアイリーンが、重々しくうなずく。
アンドリューがにやりと笑った。
「ロバートのやつ、自転車のチェーンがはずれたんだ。バチがあたったんだと、僕は思うな」
「なぜあんなことをしたんだ？」
「ごめんなさい、パパ。キッチンでタバスコのびんを見て、思いついたんだ。やってみたくてたまらなくなっちゃって」
「おもしろかった？」
「うん！とっても！……あ、ごめんなさい、ママ」
「いいかロバート、まず自分がどういうことをしたか、きちんと認識すること。そのあと、クローゼットの中で反省しなさい」
ロマノは泣きながらピザを食べ、アイスティーを飲んだ。そして、しおしおとクローゼットに入った。
「馬鹿だなあ、あいつ。泣くほど辛かったんだぜ」
アンドリューが苦笑する。
「お前も、ビーフシチューにコショウをひとびんほうりこんだことがあったよな、アンディ」
「アイスクリームにお塩をふりかけた人もいたわよね、ジュリアン」
アンドリューとジュリアンは、肩をすくめた。
ＳＣＥＮＥ８
ロマノはジュリアンの運転する車の助手席で、鼻歌を歌っていた。これからビクトリアを誘いに寄って、映画を見に行くのだ。
「あれ？ロジャー、何してるんだ？……デレクじゃないか！」
ジュリアンは車を止めた。
「どうしたの？」
「友だちが不良にからまれてるみたいだから、助けにいってくる」
ジュリアンは、にらみあっているふたりの少年の元へ走り寄った。ロマノは少し離れたところで、成り行きを見守っている。
「どうしたんだ？」
「ジュリアン！」
ロジャーはほっとした表情になった。デレクがぺっと道端につばを吐いて言った。
「こいつが俺の肩にぶつかったんだ」
「ぶつかってきたのは、そっちだろう」
「今日みたいに暑い日は、いらいらするよな。みんなでコークでも飲まないか？俺がおごるよ」
ジュリアンはふたりの間に割って入り、肩を組んだ。
デレクの右手がさっと動いた。ジュリアンは信じられないものを見た。自分の腹にナイフが突き立てられていて、その柄をデレクが握りしめているのだ。
デレクはナイフを引き抜くと、脱兎のごとく逃げ出した。
灼熱感が、そして一瞬遅れて激痛が身体をつらぬく。ジュリアンはうめいて、その場にくずおれた。
「お兄ちゃん！」
ロマノが駆け寄る。驚いて棒立ちになっていたロジャーは、はっと我に返った。
「救急車を呼んでくる！」
ＳＣＥＮＥ９
傷口からは、どんどん血があふれていた。白いＴシャツが真っ赤に染まっている。反対にジュリアンの顔色は紙のように白くなっていた。うっとうめいて顔をゆがめる。ロマノはジュリアンの手を握りしめた。
「もうすぐ救急車が来るからね、お兄ちゃん」
「俺は大丈夫だ……心配……するな」
救急車のサイレンが聞こえてきた。
「お兄ちゃん！救急車が来たよ！」
寒いなとジュリアンは思った。夏なのに。それにどうしてこんなに暗いんだろう？
「……ロバート……」
「なあに、お兄ちゃん」
ジュリアンはふわりとほほえみ、目を閉じた。
「……お前を……愛してる…………ずっと……」
「お兄ちゃん？」
握っていた手から、力が抜けた気がしたのだ。ロマノはジュリアンをゆさぶった。しかし、ジュリアンは目を開けなかった。
「お兄ちゃん！…………やだ―――――――っ！」
ロマノがジュリアンの胸につっぷして号泣する。救急車がふたりの前で停車し、救急隊員がストレッチャーを持っておりてきた。
ＳＣＥＮＥ１０
ジュリアンが亡くなって１週間がたった。ロマノはジュリアンの部屋にこもって食事もろくにとらず、ベッドでずっと泣き続け、泣き疲れるとそのまま眠るという生活を続けていた。
「ロバート」
アイリーンが部屋に入ってきて、ベッドに座った。ロマノがのろのろと起き上がる。アイリーンは、ロマノの手を両手で包むようにして握った。
目を泣きはらしたロマノがつぶやく。
「……死んでいくお兄ちゃんの側で、僕は何もできなかった」
「パパが言ってたでしょう。ジュリアンは肝臓の大事な血管を傷つけられてたの。パパがあの場所にいても助けられなかった。パパだけじゃない、どんな名医でも助けられなかったのよ」
「でも、僕がロジャーに言って、車で運んでたら」
アイリーンはしずかにかぶりをふった。
「車の中でジュリアンは亡くなったでしょうね。あの場所で、刺されてすぐに手術しないかぎり、あの子は助からなかったの」
「映画なんか見に行かなきゃよかった。僕のせいだ。あのとき、あそこを通らなければ、お兄ちゃんは刺されなかった」
「誘ったのは、ジュリアンでしょう。……ビッキーがね、私を迎えに来なければ、あの道を通らなかった。誘われても断ればよかったって泣いてたわ。ママもね、家でお昼を食べないで、映画を見ながら食べるようにサンドイッチでも作ればよかったって。そうすればひとつ前の回が見られたでしょう。アンディは、出かけようとしてたジュリアンに、数学の問題を教えてもらったことを悔やんでるわ。パパは、車をジュリアンに貸さなきゃよかったって……みんな後悔してるの。ロバートだけじゃないわ。ああいう亡くなり方をするとよけいに、遺された人たちは思う。でも、誰にも責任はないのよ……ジュリアンの運命だったの」
「運命だなんて、そんなのいやだ！お兄ちゃんが死んじゃっただなんて！僕は絶対にいやだ！」
ロマノはアイリーンにすがりついて号泣した。アイリーンがぎゅうっと抱きしめる。抱きしめながら、ほほには涙がつたっていた。
ＳＣＥＮＥ１１
いやな夢にうなされて目覚めたロマノは、眠れなくなってしまった。時刻は夜中の３時をまわったところだ。
ジュリアンの勉強机のいすに座り、ため息をつく。机の上はきちんと整頓されていた。そっと引き出しを開けると、切手が貼られた封筒が一番上にあった。それはジュリアンがロマノにあてた手紙だった。
しばらくためらったが、ロマノは手紙を開封した。
『ロバート
弟に手紙を書くなんて初めてだから、ちょっと照れちゃうな。
ロバートが生まれた日のことは、一生忘れない。ちっちゃくてかわいくて、天使みたいだった。抱っこしてよろしくってあいさつしたら、君はちっちゃなこぶしで、僕のあごにパンチをおみまいしてくれた。そのとき思ったんだ。こいつを一生守ってやろうって。その気持は今も変わらないし、これからも変わることはないだろう。
あれから１１年。ロバート、君は僕にたくさんの愛をくれた。そんな君と離れて旅立つのは、本当につらい。君と楽しく過ごしてると、決心が鈍りそうになる。
でも、これは僕にとって、長年の夢をかなえるための第一歩なんだ。外科医になってひとりでも多くの人の命を助けたいっていう、小さいころからの夢。ロバートにも野球選手になりたいっていう夢があるから、その気持はわかってもらえると思う。どうしても行かなきゃならないんだ。
これだけは覚えておいてほしい。離れて暮らしていても、僕はいつもロバートのことを思っているよ。愛してるし、誇りに思ってる。
感謝祭にはおみやげを買って帰るから、いい子にしてるように。いたずらはほどほどにね。
僕の大切な小さな弟へ
愛をこめて ジュリアン
追伸： 直接手紙をわたすのは照れくさいから、ボストンへ発つ日の朝、投函することにしたんだ』
ロマノは手で顔をおおった。涙があとからあとからあふれ出る。
やっと涙がとまったときは、夜が明け始めていた。家族を起こさないように足音を忍ばせて、屋根にあがる。
朝の空気はひんやりとしていた。気がつかなかったけれど、秋がもうそこまで来ているのだ。
お兄ちゃんが果たせなかった夢を、僕が果たそう。とロマノは決心した。外科医になって、ひとりでも多くの人の命を救う。それが惜しみない愛情をそそいでくれたジュリアンへの、せめてものお礼なのだと……。
東の空が、オレンジ色に染まりはじめた。
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
『ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ』５０話記念特別企画第２弾、ロマノ１１歳の夏の日の物語です(^^)
ロマノの子ども時代を書くには、ジュリアンの死はどうしても避けて通れませんでした。共通テーマを『１１歳』にしたのも、このおはなしを書きたかったからです。
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m