ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ４５ 「Ａ ＢＬＡＣＫ ＫＩＴＴＥＮ」
ＳＣＥＮＥ１
「どうもありがとう、ラリー」
「どういたしまして。じゃあまた明日」
カウンティの救急搬入口で車から降りたリュウイチは、ラリーに手をふった。時刻は５時２０分。６時にロマノと待ち合わせなのである。交通事故で両親を突然失い、実の父であるロマノに引き取られてから約ひと月が過ぎた。新しい環境にも少しずつ慣れ、ロマノともけっこううまくやっている。
細かい雨が降っているので、急いで中に入ろうとしたリュウイチは、ミャーミャーというか細い声に気がついた。
「子ネコだ。どこにいるんだろう……おーい、出ておいで」
姿勢を低くしてきょろきょろ目をくばりながら、声のする方へと歩いた。
「うわっ！」
両手のひらにすっぽりおさまってしまうくらいの黒い子ネコが駆け寄ってきて、リュウイチの足に身体をこすり付けた。
「見えないはずだよね。真っ黒だもん。かわいいなあ。どうしたの？迷子になった？」
抱き上げてあたりを見回したが、親ネコも飼い主もいないようだ。子ネコはびしょぬれで震えている。
ＳＣＥＮＥ２
リュウイチは、ＥＲのラウンジにやって来た。グリーンがコーヒーを飲みながらカルテ整理をしている。
「こんばんは」
「やあ、こんばんは」
「入ってもいいですか？」
「いいよ」
リュウイチはリュックからタオルを取り出し、ネコをふいてやった。
「小さいネコだねえ。どうしたの？」
「搬入口のところで、ひろったんです」
「へえ。ミルクをやれば？おなかがすいてるみたいだよ。冷蔵庫にあるから」
「ありがとうございます！」
リュウイチは皿に入れたミルクを電子レンジであたため、テーブルに置いた。
「さあ、おあがり」
ネコはふんふんとにおいをかいでいたが、いきなりすごい勢いで飲み始めた。ピンク色の小さな舌がフル回転でミルクをなめとっていく。
「あわてないで、ゆっくり……あ、ほら、だから言ったのに」
ネコは皿に鼻を突っ込んでしまい、クシュクシュとくしゃみをした。リュウイチはタオルでネコの顔をぬぐってやった。
やがて満腹したネコは、ぐるぐるとのどを鳴らしながら、毛づくろいをし始めた。リュウイチはテーブルにほおづえをついて、うれしそうにながめている。
「マーク、明日のミーティングだけど……あら！」
ウィーバーは、
「病院に動物を連れて来てはいけません！」
と叱ろうとしたのだが、思わず言葉を飲み込んでしまった。あまりにもリュウイチがかわいい顔をしていたのだ。
「こんばんは、ウィーバー先生」
「こんばんは。どうしたの？そのネコ」
「ひろったんです」
リュウイチは自分の赤い毛糸の帽子にネコを入れてひざにのせた。ネコはしばらくのどを鳴らしていたが、やがて眠ってしまった。
「飼うつもりなの？」
ウィーバーがネコをそっとなでながらたずねた。
「そうしたいんですけど、パパが許してくれるかどうか……」
リュウイチは足元を見つめて、くちびるをかんだ。パパはネコが好きだろうか？
「お願いすればだいじょうぶじゃないかな」
グリーンはほほえんで、リュウイチの頭をぽんぽんとたたいた。
「はい！そうしてみます！……あ、時間だ。それじゃ僕、失礼します」
リュウイチは帽子を胸に抱いて駆け出した。
ＳＣＥＮＥ３
「パパ！」
外科の廊下で、リュウイチがロマノに飛びついた。
「ごめんね、待った？」
「いいや、パパも今あがったところだ」
「こんばんは、エリザベス先生」
「こんばんは」
「さあ、帰ろうか」
「あのねパパ、僕、お願いがあるの」
「なんだ？」
「これを飼ってもいい？」
リュウイチは帽子の中からネコを取り出した。
「まあ！かわいい！」
「搬入口のところでひろったんだ」
ロマノは顔をしかめた。
「ネコってやつは爪をといで家具を台無しにするんだぞ。飼うのなら犬にしろ。散歩をすれば運動にもなる。大きいのがいい。何ならこれから買いに行くか？」
「ロバート！」
エリザベスにつつかれて、ロマノは口をつぐんだ。リュウイチの目に涙が盛り上がっている。
「……わかった。飼ってもいい。その代わり、自分で世話しろよ」
「ありがとう！」
リュウイチはロマノに飛びついてキスをした。
「よかったわね、リュウ」
「はい！」
「名前は何にするの？」
「ダイキチ（大吉）。えーと日本には『おみくじ』っていうものがあって、それの一番ラッキーなのがダイキチっていうんです。ママが昔、ダイキチって名前を付けたネコを飼ってたんですって」
突然ロマノは思い出した。そう、ダイキチだった。ずいぶんかわいがっていたのに、ふと目を離したすきにいなくなってしまい、それっきり帰ってこなかった真っ黒の子ネコ。
『あのときは、懐中電灯を持って、３時間も探し回ったんだった……』
泣きじゃくるシオンを、なぐさめるのが大変だったのだ。
「そうなの……そうだ！ちょっと待って」
エリザベスはバッグから赤いリボンを取り出し、ダイキチの首に結んだ。
「はい、これでもっとかわいくなった」
「ありがとうございます！」
ＳＣＥＮＥ４
ロマノは、夜１１時過ぎに帰宅した。リュウイチはダイキチと一緒に、ソファーで眠ってしまっている。ロマノはほほえみ、抱き上げてベッドへ運んだ。
ベッドに腰をかけ、ロマノはリュウイチの寝顔を見つめた。自分に子どもがいるなど思ってもみなかったが、突然引き取ることになってしまい、あっという間にひと月が過ぎた。もちろんリュウイチを引き取ることに対して、迷いもいやだと思う気持もなかった。リュウイチは、ロマノにとってかけがえのない存在だった。シオンが血を分けた息子を遺してくれたことに、心から感謝していたのだ。
しかし、とロマノは思った。果たしてリュウイチは自分と暮らして幸せなのだろうか。できるだけ気を配ってはいるつもりだが、ロマノは忙しすぎた。ともすれば、食べさせて着せて学校へやってという、親として最低限の義務を果たすのがやっとということも多い。逆立ちしても、母親にはなれないということはわかっている。そんな自分が、両親との悲しい別れを経験しているリュウイチの、心の傷をいやしてやることができるのか……。
リュウイチがいい子過ぎるのも気がかりだった。自分に気をつかっているのではないか。今日もキッチンのテーブルには、ロマノの夕飯が置いてあった。子どもらしくない（とロマノが思う）リュウイチの行動は、無理をしているのではないかという危惧を、ロマノに抱かせた。
いきなり引き受けるはめになった『父親業』は、ロケット・ロマノの手腕をもってしても、なかなか手ごわいものであった。だが、とにかく前へ進むしかないだろう。この仕事は、放り出すわけにはいかない。ロマノは勢いよく立ち上がった。くよくよ考えていてもしようがない。明日は容赦なくやってくるのだから……。
ＳＣＥＮＥ５
「よくやった、ピーター、リジー」
手術を終えたロマノは、ふたりと握手をかわした。
「手術記録を書いておいてくれ。術後管理もまかせたぞ。これからミーティングなんだ」
１時間後、ロマノは集中治療室へ顔を出し、患者の状態をチェックした。
「ねえピーター、変じゃない？」
「なにがだ？」
「ロバートよ。オペの時のバンダナ、かぶりっぱなしだわ」
「そういえばそうだな」
２日後、外科の廊下……。
「今日で３日目。やっぱり変よ。ずーっとバンダナをかぶってるだなんて」
「新しい毛はえ薬でも、試してるんじゃないのか？」
「まさか！」
「そんなに気になるんなら、聞いてみろよ」
「聞けるわけないじゃない！……でも、気になる」
「物好きだなあ……おっ」
ベントンがにやりと笑った。
「あら！リュウだわ」
ＳＣＥＮＥ６
「俺たちはこれからカフェテリアへコーヒーを飲みに行くんだ。リュウも来ないか？おごってやろう」
「ありがとうございます！」
リュウイチはチョコレート・パフェをおいしそうに食べ始めた。
「リュウ、パパの頭、どうかしたの？」
リュウイチの手が止まり、顔がくもった。
「あのね、ダイキチが……」
「ダイキチ？」
「リュウが飼ってるちびネコちゃんよ」
「へえ」
「いつも僕の肩や頭に乗っかって遊ぶんですけど……パパの肩に乗って、それから頭に飛び乗ったら……すべったの」
ぐうっという音がした。必死で笑いをこらえているエリザベスののどが鳴ったのだ。ベントンはうつむいた。肩がこきざみにふるえている。
「ダイキチがパニックになって、パパの頭を思い切り引っかいちゃったんです」
「おこられただろう」
「いいえ。僕がごめんなさいって泣いたら、つかまるものがなかったからしかたがないって、なぐさめてくれました」
「よかったな」
ベントンはリュウイチの頭をぐりぐりとなでた。エリザベスがにっこり笑う。
「やさしいパパね」
「はい！」
リュウイチは笑顔になり、またパフェを食べ始めた。
ＳＣＥＮＥ７
日曜日、ロマノが休みの日ぐらい自分が夕食を作ると言うので、リュウイチはピアノをひいていた。ダイキチは、床で気持よさそうに眠っている。
「わあ！おいしそう！」
メインディッシュはロースト・ビーフだった。
「いただきます……おいしい！」
「だろう。たくさん食べろよ」
「絶品だね」
これはいつものロマノの口ぐせだ。
「スープもサラダもポテトも最高」
リュウイチは、口いっぱいにほおばった。
引き取った最初の日、夕食を食べに行った中華料理店で、
「パパ、僕、たくさん食べるの」
おずおずと言ったリュウイチの頭をなでて、ロマノは笑った。
「心配するな。パパは診療部長だ。給料はたくさんもらってる」
リュウイチが思い切り食べられるように、余ることは承知でおとな３人分くらいの料理を注文したのだが、リュウイチはきれいに片付けてしまった。ロマノと対等。いやひょっとするとリュウイチの方が、たくさん食べたかもしれなかった。
「食べ過ぎてないか？」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい。いつもと同じくらいだよ。あ、心配しないでね。病気じゃないから。ママに病院に連れて行かれて調べてもらったことがあるんだけど、単に大食いなだけですって」
「そうか」
「デザートは何だろう。ゴマだんごか桃まんじゅうだとうれしいな」
これだけ食った後に、まだそんなものがはいるのかといささかあきれながら、ロマノは言った。
「パパの分も食べていいぞ」
「やったあ！」
リュウイチが後片付けをしている間、ロマノはソファーでダイキチをからかっていた。ネコじゃらしの形をしたおもちゃを見せると、ダイキチが突進してくる。それをひょいとかわし、手が届くか届かないかの高さで、ふってみせるのだ。届かないことがわかると、ジャンプをする。その瞬間、おもちゃを持ち上げる。ダイキチはくやしがって、ミャーミャー鳴く。これがけっこうおもしろいのだった。
「どうだ！取ってみろ！ダイキチ！よし！がんばれ！」
後片付けが終わり、居間にやって来たリュウイチは驚いた。しばらく遊んでいるうちに、ロマノもダイキチもムキになってしまったらしい。ロマノがフェンシングのようなかまえをし、真剣な顔でおもちゃをぱたぱたとふっている。ダイキチは背中を丸め、しっぽをふくらませ、毛を逆立てて、シャーシャーと威嚇の声をあげていた。
ダイキチがいきなりとびかかる。目標がおもちゃではなくロマノなのは、ネコでもよっぽど腹が立っていたのだろう。
「あっ！」
リュウイチが声をあげたが、ロマノは足をあげてダイキチを蹴った。もちろん加減はしている。空手の前蹴りだということは、リュウイチにもわかった。シオンがシュウによくお見舞いしていたのだ。ぽんと飛ばされたダイキチは、くるりと１回転して着地した。
「すごい！」
リュウイチは拍手をしながら、パパって少しおとなげないかもと思った。
ＳＣＥＮＥ８
「あら、ずいぶん大きくなったのね」
エリザベスは、リュウイチの肩に乗っているダイキチをなでた。
「リュウ、帰るぞ」
「パパ！」
リュウイチが飛びつく。ダイキチもロマノの肩に駆け上がり、身体をこすりつけた。
『あらあら……』
エリザベスがほほえむ。
にゃーん。搬入口でネコの鳴き声がした。そのとたん、ダイキチがリュウイチの肩から飛び降りた。黒い小さな影がダイキチに走りよる。
「ネコだ……」
黒ネコは、鳴きながらダイキチの身体をなめている。ダイキチはごろごろとのどを鳴らした。
「ダイキチのママ？」
「たぶんそうだろうな」
リュウイチはしゃがんでしばらくながめていたが、立ち上がって歩き出した。ロマノがあわてて後を追う。
「リュウ！ダイキチを置いて行くのか？」
「うん……ママと一緒にいるのが一番幸せだもの」
リュウイチの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。ロマノが肩を抱く。
「またネコを飼いたかったら、飼ってもいいんだぞ。パパが黒い子ネコをさがしてきてやろうか？」
リュウイチはかぶりをふった。
「もう、生き物は飼わないの。もし死んじゃったりしたら……僕、死んでさよならは、もう絶対にいやなんだ」
「……リュウ……」
ロマノはリュウイチを抱き上げ、抱きしめた。
ＳＣＥＮＥ９
「おい、リュウ。あれはどこのメーカーのビーフ・ジャーキーだ？」
「ビーフ・ジャーキー？」
「そこのたなの、黄色いふたのびんに入ってるやつだ。ビールにけっこうあう」
リュウイチはびんをながめた。
「パパ！これってダイキチの『ネコちゃんジャーキー』だよ」
「……紛らわしいところに置くんじゃないっ！」
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
お久しぶりのちびリュウです。リュウって黒ネコのイメージだったりします(^^)
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m