ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ４４ 「ＴＨＥ ＲＥＤ ＲＯＳＥ」
ＳＣＥＮＥ１
――リュウイチ１４歳の夏――
『バラの花みたいだ……』
その年のドリーム・オーケストラ・ツアーの顔合わせをかねた初日のパーティーで、深紅のロングドレスをまとったその女性（ひと）を見たリュウイチは、そう思った。レイラ・キリシマ（麗羅 霧島）は、今回初参加の日本人バイオリニストだ。身長は１７５センチを越えているだろう。長い黒髪、抜群のスタイル。目が大きくて、意志の強そうな顔をしていた。
『なんてかっこよくてきれいな人なんだろう』
リュウイチは胸に手をやった。心臓をわしづかみにされたような気がしたのだ。あまりにじっと見つめ続けていたせいか、レイラがこちらを向いた。
『うわあお！目が合っちゃった！どうしよう！』
どぎまぎしているリュウイチに、レイラはこぼれるような笑みを浮かべて駆け寄った。
「プリンス・リュウ！なんてかわいいの！」
そして、リュウイチを思いきり抱きしめた。レイラより小さいリュウイチは、ちょうど胸に顔をうずめる形になってしまった。真っ赤になっているほおにキスをされる。
「あなたに会えるのをとても楽しみにしてたの。よろしくね、リュウ」
「こちらこそどうぞよろしくお願いします。キリシマさん」
「レイラでいいわ」
「レイラさん」
「さんはつけないで」
「……レ、レイラ」
「そう、それでいいわ」
レイラはまたリュウイチを抱きしめてキスをした。
パーティーの間中、リュウイチはレイラの側にいた。レイラがはなさなかったのだ。手をつないだり、腕を組んだり、頭をなでられたり、抱きしめられたり、キスをされたり……。最初のうちはずっとどきどきしていたが、しばらくすると慣れてしまった。そしてそれは、恋の始まりであった。
ＳＣＥＮＥ２
「リュウはずっとレイラにまとわりついてるな。まるで子犬みたいだ」
楽しそうに談笑しているレイラとリュウイチを見ながら、フルート奏者のニック・ウィーズナーがためいきをつく。
「ああ、夢中になってる。まあ気持はわかるよ。あのくらいの年齢だと、年上の女性にあこがれるのはよくあることだし」
同じフルート奏者のジェレミー・ローランが、あいづちをうった。
「だけど肝心の演奏がおろそかになったりしたら、それこそカイザーに大目玉だ」
「それはそうだけど、まあ彼は天才だから。リュウの心配をするより、俺たち自身の心配をしたほうがいいと思うけど」
「言えてる」
そこへクローゼが入ってきた。リハーサル会場に一気に緊張がはしる。
リハーサルが進み、リュウイチのソロパートになった。どよめきがホールを包む。クローゼはくちびるの端に笑みを浮かべた。
「やっぱり天才は違うな」
「ほんとだ。心配することなんてないよ。かえって演奏につやがでて、深みが増してる」
「恋のせいだな」
ウィーズナーとローランはささやきあった。
ＳＣＥＮＥ３
クローゼのマネージャー、ジークフリード・ツィーゲは頭を抱えていた。クローゼのご機嫌が悪いのだ。もともとクローゼはそんなに機嫌がよい方ではなく、ツィーゲはいつもふりまわされている。板ばさみになるのでやせそうなものだが、彼はとてつもない太っちょの大男だった。本人の弁によれば、ストレスでつい過食してしまうらしい。
そのツィーゲに救世主が現れた。リュウイチである。クローゼはリュウイチが側にいればご機嫌だった。２年前彼がクローゼの元でピアノのレッスンを受けた『奇跡の半年間』、ツィーゲは１５キロも体重が落ちたのだ。
クローゼがリュウイチをかわいがっているのは、もちろんその才能にほれ込んでいるからであったが、そのかわいい容姿と、類まれなるよい性格のおかげもあったのであろう。まるで、孫をいつくしむ祖父のような気持になるらしかった。
ところが、久しぶりに再会した孫は恋に落ち、女の子に夢中で、じーさまのことなど眼中にない。クローゼがむっつりとした顔で朝食をとっているふたつむこうのテーブルでは、リュウイチとレイラが楽しそうに語り合っていた。
ツィーゲはとうとう、リュウイチを自室に呼び出した。
「リュウ、頼みがあるんだ」
「なんでしょう」
「……カイザーと遊んであげてくれないか」
「は？」
「君とそのう……レイラの仲間に入れてあげてほしいんだ……おじゃま虫だということは充分承知している」
「おじゃま虫だなんて、そんな」
「カイザーは、コンサート・ツアーで君と会えるのをとても楽しみにしてた」
「光栄です」
「光栄だと思うんだったら、なるべく彼の側にいてあげてほしい」
「わかりました」
ＳＣＥＮＥ４
「ええっ！カイザーとディナーですって！」
レイラは叫んだ。
「平気だよ。かみついたりしないから」
リュウイチがにっこり笑う。
「……ま、いっか。考えてみたらすごいことよね。一緒に食事なんて」
フレンチのフルコースを食べながら、クローゼは、レイラを観察した。自由奔放でありながら、繊細さと芯の強さも持ち合わせている。非常に情熱的で力強いが、繊細で緻密なテクニックを持つ彼女のバイオリンと、共通点がたくさんあった。
『……イクコに似たところがあるかもしれんな……』
クローゼは１５年前に他界した、最愛の女性（ひと）を思った。
『リュウのやつ、レイラに夢中だな』
クローゼがくすりと笑う。リュウイチがどのような状態にあるのか、手に取るようにわかった。かつて自分にもそんな時代があったことを思い出し、甘やかな気分になる。恋をしているおかげで、リュウイチの演奏はグレードアップしていた。音楽家には、恋は必要なことなのだ。
『応援してやるか』
また、クローゼはくすりと笑った。
ＳＣＥＮＥ５
「もしもし、パパ？」
「リュウ！元気にしてるか？」
「はい」
「今どこにいるんだ」
「中国の北京。レイラとカイザーと３人でさっきディナーを食べてきたんだけど、本場の中華料理はやっぱりおいしいよ。北京ダックなんか最高」
「レイラって誰だ」
「日本人のバイオリニストでね、僕より１０歳年上なんだ。黒いさらさらのロングヘアーで、背が高くてとってもかっこいいの。アーモンドの形をした黒い目がきらきらしてて、きりっとした、すんごい美人なんだよ」
「……リジーよりかっこよくて美人なのか」
「うん、そうだね」
今までリュウイチの『女性ランキング』はシオンは別格として、いつでもトップはエリザベスだった。それより上があらわれたのである。
『やれやれ、レイラって女にぞっこんってわけか』
ロマノは受話器を持っていないほうの手で、目をこすった。リュウイチはなおもしゃべり続ける。
「……それで、先週東京でオフの日に、レイラにバイクにのせてもらったんだよ。７５０ccだって言ってた。大きくてかっこいいバイクでね。それがまた、レイラがとーってもかっこよかったんだから。海まで行って、サンドイッチを食べたんだ。それからね……」
結局リュウイチは、１０分ほどレイラのことばかり話し、
「じゃあパパ、元気でね」
と言って電話を切った。
「リュウは元気にしてるの？ロバート」
エリザベスが、並んで手術前の手洗いをしながらたずねた。
「ああ、１０歳も年上の女に夢中になってる」
「まあ、ほんと？」
「あいつのマザコンにも困ったもんだ」
ＳＣＥＮＥ６
レイラはホテルの自室でワインを飲んでいた。みんなは、リュウイチが一方的にレイラにのぼせていて、彼女はそんな彼をかわいいと思いながら、年上の友人としてつきあっていると思っている。
『でも、ちがうのよ……』
レイラはためいきをついた。レイラもリュウイチに夢中になっていたのだ。最初はかわいいと思っていただけだったが、たちまちリュウイチのとりこになってしまった。無邪気な笑顔も魅力的だが、ピアノに向かったときにみせる真剣な表情。その黒い瞳に吸い込まれてしまいそうな気がする。
レイラは今日、コンサートの直前、控室の窓から外を眺めていたリュウイチに声をかけようとして、思いとどまった。彼の横顔に、孤独が影を刷いていたからだ。天才ピアニストの心の淵が垣間見えた気がして、レイラの心はざわめいたのである。
ひどく子どもっぽいかと思うと、はっとするほどおとなびて見えることもある。女の子とみまごうその容姿とはうらはらに、リュウイチには、非常に男らしい一面があった。名前のとおり、本性は『龍』なのだわとレイラは思う。いつもやさしさに隠されてはいるけれど……。
レイラが余裕のある態度を見せているのは、演技だった。そうすることで、自分の感情を制御していたのである。恋多き女でいつも情熱的なレイラだが、こんなことは初めてだった。ティーンエイジャーのように暴走しようとする自分の気持を、やっとの思いで押さえていた。
リュウがあと５つ、いいえ、あと３つ年上だったらよかったのに……。レイラはまたため息をついた。
ＳＣＥＮＥ７
コンサート・ツアーは、ローマが最終日だった。その夜ホテルで打ち上げがあり、解散となる。医大の入学式が近いので、リュウイチは次の日シカゴへ帰る予定。また、レイラも所属しているロンドン交響楽団の定期演奏会のため、やはり次の日帰国予定だった。リュウイチはレイラとの別れを寂しく思ってはいたが、しょせんかなわぬ恋とわかっていたので、悲しくはなかった。それよりも最後のパーティーを、レイラと楽しく過ごすことの方が重要であったのだ。
夜中の１２時過ぎに、パーティーはお開きになった。
「レイラ、明日の朝、一緒に食事できる？」
「ええ、もちろんよ、リュウ」
「じゃあおやすみなさい」
「おやすみ」
レイラはタキシードの胸ポケットにメモを入れ、抱きしめてキスをした。
レイラが立ち去ったあと、リュウイチはメモを見た。
『部屋に来る？』
リュウイチはレイラの部屋の前に立っていた。廊下には誰もいない。のどはからからにかわき、心臓はまわりに音が聞こえるのではないかと思うほど、どきどきしている。引き返しても、レイラはなにも言わないだろう。むしろ引き返すのが普通じゃないだろうか。今ならまだ間に合う。引き返そう。と思った次の瞬間、なぜか手が自然に動いてノックした。
ドアはすぐに開き、レイラがにっこりとほほえんだ。
ＳＣＥＮＥ８
朝８時、リュウイチが目覚めたとき、レイラはもういなかった。テーブルの上に白い封筒が置かれている。
『素敵な夜をありがとう。大好きよ、リュウ』
カードとともに、ルビーのピアスが片方入っていた。それはいつもレイラが身につけていたものだった。リュウイチは手のひらにピアスをのせてしばらく見つめていたが、やがてそっとキスをした。
ＳＣＥＮＥ９
「”Ｆａｍｅ”でしょう？はまって３０回くらい見に行ったかしら。ココにあこがれて。リュウは知らないわよね、この歌」
「知ってますよ」
リュウイチは歌ってみせた。スーザンが目を見張る。
「それって２番よ。どうして？」
「パパの愛唱歌なんです」
「何か思い出があるのかしら」
「さあ」
リュウイチが肩をすくめる。
患者の私物（ＳＭグッズ）でふざけていた（リュウイチは、たまたま側にいてとばっちりをくった）のをウィーバーにとがめられ、アビー、スーザン、リュウイチ、ガラント、カーター、コバッチの６人が、今日は罰として講義を受けに来ているのだ。雪のせいで、担当の講師の来るのが遅れていた。
「ルイス先生のお父さんの仕事はなんですか？」
ガラントがたずねる。
「リクライニングチェアのテストパイロット」
「ドクター・リュウのお父さんは？」
「……外科医だよ」
「へえ！どこの病院ですか？シカゴ？それとも……」
リュウイチがにっこり笑う。
「あのね、僕の苗字はロマノっていうんだ」
「……まさか！」
ガラントは口をぽかんとあけた。
「全然似てないものね。私も初めて知ったときは、びっくりしちゃった」
スーザンがうなずく。
「じゃあ、今度はリュウの番よ」
スーザンがはしゃいで言った。誰が一番早く『おとな』になったかを当てるゲームを、スーザンとアビーがしていたのだ。
「ごめん、実は私なの。リュウの相手」
アビーがぺろっと舌を出す。
「えーっ！ほんとに？」
スーザンが悲鳴を上げた。
「違いますよ」
リュウイチが笑う。
「もうっ！アビーったら！……でもリュウ、まさかまだってことは……ないわよね……あ、でもいいのよまだでも、恥ずかしがらなくて」
リュウイチは無言でほほえんでいたが、やがて口を開いた。
「１５歳になる２ヶ月前。レイラ、１０歳年上のバイオリニスト。場所はローマのホテル」
「年上のバイオリニスト！」
「ローマのホテル！」
「さすがはリュウね。とっても素敵だわ」
「ねえ、どんな人？」
スーザンががたずねる。
「かっこよくて美人で、真っ赤なバラの花みたいな人でした。朝起きたら……カードとピアスが片っぽ残されてて」
リュウイチは髪をかきあげ、右耳を見せた。
「かわいい！赤いハート……ルビー？」
「そうみたいです」
「ずっとつけてるの？」
「ええ」
「パパは知ってる？」
リュウイチは絶句した後、叫んだ。
「どうしてそこでパパが出てくるんですか！言うはずないでしょう！そんなこと！」
ＳＣＥＮＥ１０
「おい、耳に何をつけてるんだ」
ロマノは、手術のアシストをしているリュウイチに言った。
「え？」
『やばい！はずすの忘れてた』
「誰にもらった」
「……パパのオフィスのロケット、あれを誰にもらったか教えてくれたら、話してもいいです」
ロマノはちょっと上目づかいでリュウイチを見た。
「さっさと吸引しろ！」
「イエッサー！」
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
ＳＣＥＮＥ９は、８−１６『秘密とうそ』（ＳＥＣＲＥＴＳ ＡＮＤ ＬＩＥＳ）のシーンです(^_^;
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m