ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ４３ 「ＣＨＥＥＳＥ ＲＩＳＯＴＴＯ」
ＳＣＥＮＥ１
エリザベスはインフルエンザでダウンしていた。もともとはエラがかかっていたのだが、看病をしていてうつったらしい。病院に欠勤の電話を入れ、ベッドで丸くなる。あと１時間ほどでエラが起きてくるだろう。こんな日に限って、ベビーシッターの都合が悪くて来られないとは……。エリザベスはためいきをついた。
チャイムが鳴った。時刻は９時。無視していたのだが、しつこく鳴り続ける。エリザベスは舌打ちをしながら起き上がった。
「もう！誰なの？もしセールスだったりしたら……殺してやる！」
「はい」
インターフォン越しの不機嫌な声にもまったくひるまず、即座に返答があった。
「リジー、私だ」
ロマノはスーツ姿で、紙袋をかかえていた。
「急にオフになったんだ」
しらしらとうそをつく。カウンティではリュウイチが夜勤明けの身で、ロマノのシフトをこなしていた。
「ベビーシッターに来てやったぞ」
「そんなことをしてもらうわけにはいかないわ、ロバート」
「来るのか？ベビーシッター」
「……いいえ」
「言ってただろう、ベビーシッターが旅行に行ってるって、４日前に」
「……そうだったわね」
「このベビーシッターはとても優秀だ。点滴もできる」
ロマノは紙袋から、点滴のパックと用具を取り出した。
「ロバート」
「熱は」
ロマノはソファーのテーブルの上にあった体温計を、エリザベスにわたした。
「はかってやろうか？」
「自分ではかる」
「３９.６度か……」
ロマノは脈をはかった。
「腕を出せ」
エリザベスはソファーに横たわり、ロマノは点滴をセットして、側にあった毛布をかけた。
「ありがとう」
「エラは？」
「まだ寝てる」
「ママ！」
エラが階段を下りてきた。ロマノは抱き上げて向かい側のソファーに座り、熱をはかった。
「３６.７度。エラ、口を開けてみろ」
「朝飯はなにを食べさせる？」
「シリアルにして。冷蔵庫の横のたなに入ってる。……ロバート、エラは昨日の夕方まで熱があったの。だから……」
「心配するな。子育ては俺の方が先輩だ。何か食うか？リジー」
「いいえ」
ＳＣＥＮＥ２
エリザベスは目をさました。ロマノが点滴をかたづけている。
「気分はどうだ？」
「点滴のおかげでだいぶよくなったわ。今何時？」
「１時過ぎだ」
熱は３７.２度まで下がっていた。
「何か腹に入れないと」
「食べたくないの」
「ちょっと待ってろ」
ロマノは湯気の立っているボウルとマグカップを運んできた。
「ロバート、悪いんだけど、紅茶だけいただくわ」
「まあそう言わずにひとくち食ってみろ」
エリザベスはスプーンを口に運び、目を丸くした。
「おいしい！」
「だろう？うちは病気のとき、いつもこのチーズ・リゾットなんだ」
「うちって？」
「いわゆるおふくろの味ってやつだ。リュウにも子どものころはよく作ってやった。エラも気に入ったみたいで、けっこうたくさん食ったぞ。今昼寝してる」
「ありがとう」
「どういたしまして」
「ほんとにおいしいわ、このリゾット。……リュウのママにも作ってあげた？」
「ああ」
「……シオンってどんな人？」
「気が強くてがんこで、キレると手がつけられん……そしてさみしがり屋で、やさしいやつだった」
「……愛してたのね」
エリザベスがほほえんだ。ロマノは、組んだ指をじっと見つめている。
「……結婚するつもりだった……そうしていれば、あいつも死なずにすんだかもしれんな」
「後悔してる？」
「後悔したって、時間が元に戻るわけじゃない。振り返らずに前へ進むのが、俺の主義だ……後悔してるのか？リジー」
「いいえ。こうなることは覚悟してたし……マークと結婚して、エラを授かったことはとても幸せだったと思ってる。私も前を向いて歩いていくわ。エラのためにも」
「俺も、シオンがリュウを遺してくれたことを感謝してる。できそこないの息子でもな」
ＳＣＥＮＥ３
２日後、エリザベスは勤務に戻った。
「おはよう、リュウ」
「おはようございます！お身体はいかがですか？」
「もうすっかりいいの。迷惑かけちゃってごめんなさいね」
「いいえ。よかった、元気になって。エラは？」
「走り回ってるわ……ロバートは？」
「……それが、インフルエンザで寝込んでるんです」
「大変！私のがうつったんだわ。ごめんなさい」
「あ、気にしないでください」
「家で寝てるの？」
「ええ。ＥＲで診てあげるって言うのに、貧民窟はいやなんですって。あとで点滴うちにちょっと帰ってきます」
ＳＣＥＮＥ４
「くそっ！誰だ！何回もチャイムを鳴らしやがるのは！」
ロマノはインターフォンの受話器を取ると、わめいた。
「おい！俺は機嫌が悪いんだ。何の用事か言ってみろ。大した用じゃなかったら、撃ち殺してやる」
「元気そうね」
「……リジー！」
ＳＣＥＮＥ５
「ほんとにごめんなさいね、ロバート。うつしちゃって」
エリザベスは点滴の針を持ち、ロマノの腕を消毒しながら言った。
「気にするなって言ってるだろう。それより病院中でうわさになってなかったか？うつったってことは、やっぱりふたりは付き合ってたんだって……痛いな！もっとそっと針を刺せ！」
「あら、ごめんなさい」
エリザベスは、いたずらっぽく笑った。
やがてロマノは、ソファーで眠ってしまった。
『ロバートったら、気をつかって元気なふりしちゃって……熱が４０度もあるのに』
エリザベスはロマノの寝顔を見つめた。考えてみれば、寝顔を見るのは初めてだった。日頃のロマノからは想像できない、無防備で子どものようなその顔に、なぜか胸がきゅんとなった。思わず顔を赤らめる。
『やだ、私ったら……あ！』
思い出したのだ。自分も寝顔をロマノに見られていたことを。エリザベスは狼狽して、キッチンへ逃げ込んだ。気を落ち着けようと、コーヒーメーカーのスイッチを入れる。
ため息をつきながら、あたりを見回した。紺と白を基調としたアイランド・キッチンは、きちんと片付けられている。そういえばロマノは几帳面だった。一緒に手術をすることの多いエリザベスはよく知っていた。大口をたたくが、腕はそれを上回っている。乱暴な口調とは裏腹に、仕事ぶりはいつも細やかなのだ。
コーヒーカップを片手に居間に戻る。サイドボードには、たくさんの写真立てがかざられていた。
「まあ、かわいい」
シオンに抱かれている、赤ん坊のリュウイチ。シュウに抱かれているものもある。亡くなった両親との写真をかざっているのは、リュウイチに対する、ロマノなりの配慮なのだろう。リュウイチと一緒に写っているロマノは、やさしい笑顔を浮かべていた。自分にとってエラがそうであるように、リュウイチはロマノの、かけがえのない宝物なのだ。
「あら……」
一番奥のすみっこに置かれていたそれは、シオンとロマノのツーショット写真だった。くったくなく笑う、若いカップル。
『幸せそうね……』
エリザベスは無意識に、記憶のアルバムをめくっていた。ロマノが自分にこのような笑顔をむけたことがあっただろうか……。そして、途中ではっと我に返り、乱暴にアルバムを閉じて放り出した。
『ロバートがリュウのママに見せた笑顔を、自分に見せてほしいわけ？どうかしてるわよ、エリザベス』
ＳＣＥＮＥ６
「チーズ・リゾット？なぜだ」
「リュウにことづかったの」
「へえ」
「いつも思うけど、リュウってとってもパパ思いよね」
「そりゃあそうだろう。育ててやったんだから。どれだけ食費がかかったと思ってるんだ」
ロマノは毒づきながら、リゾットをおいしそうに食べた。
「リジー、今日はどうもありがとう。おかげでずいぶん楽になった」
「どういたしまして。無理しちゃだめよ。おりこうに寝てなさい」
ＳＣＥＮＥ７
「ほら、買ってきてやったぞ」
ロマノはリュウイチのオフィスのテーブルに、ピザの箱とアイスクリームをつみあげた。
「チーズ・リゾットじゃないの？」
折りたたみベッドで毛布にくるまりながら、リュウイチは情けない声をあげた。
「鍋一杯食うやつに、いちいち作ってられるか」
「ひどいよ、パパのインフルエンザがうつったのに」
「俺のだという証拠があるのか？ウイルスに名前が書いてあるなら別だがな。それにお前、リゾットじゃなくても何でも食うだろう」
リュウイチは熱が高くても食欲が落ちないのだった。むしろ消耗するのか、いつもよりたくさん食べるくらいである。
「それはそうだけど……」
「文句を言わんでさっさと食え。それから点滴と体温計、持ってきてやったぞ」
「ありがとう」
「どうしてＥＲに行かないんだ」
「ウィーバー先生に断られちゃったの。近寄らないでって」
「ま、そらそうだろうな。いいか、家に帰ってくるんじゃないぞ」
「…………」
「まったく、いい歳して、看病してくれる女のひとりやふたり、おらんのか。そういえばリジーが看病するって言ってたけど、断っといたからな」
「えー、どうして？」
「またリジーにうつったらどうするんだ」
「うつらないよ。もともとエリザベス先生のだから」
「用心するにこしたことはない。俺もうつったらたまらんからな。もう帰るぞ。死にそうになったら電話しろ」
ロマノが勢いよく出て行ったあと、リュウイチはのろのろと起き上がり、熱をはかった。
「４１度……かんべんしてよ」
自分で自分に点滴をうち、Ｌサイズのピザをふた箱、チョコレートアイスを３個たいらげ、ベッドに転がり込む。
スーザンは昨日から、５日間のオフで姪のスージーに会いに行っていた。
『でも誰か、ひとりくらいはお見舞いに来てくれてもいい気がするけど……』
リュウイチは、深いため息をついた。
オフィスのドアには張り紙がしてあった。
『インフルエンザ隔離中 立入り禁止』
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
時期的には、ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ３６「Ａ ＷＥＤＤＩＮＧ ＲＩＮＧ」の２ヶ月くらいあとの冬のお話です。この年の秋にロマノとエリザベスは結婚します。書いててチーズ・リゾットが食べたくなりました(笑)
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m