ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ ４１ 「ＴＨＥ ＬＯＳＳ」
ＳＣＥＮＥ１
リュウイチは手術のアシストをしながら、ロマノの手元をじっと見つめていた。
「もっと吸引しろ！」
「はい！」
患者はＥＲから回されてきた交通事故による脾臓、肝臓損傷。ロマノはあっという間に脾臓を摘出し、今度は出血している肝臓を、アルゴンビームで凝固させようとしていた。
『口は悪いが腕はとびきり』という世評どおりの、流麗なメスさばき。芸術的と言ってもいいだろう。リュウイチは２年目のレジデント。同期の中ではダントツの腕前（本人は夢にも思っていないが）だが、ロマノの足元にも及ばない。心の中でため息をつく。
『Pringle手技をやるつもりだろうから、結さつしないと……。４−０で間に合うだろう』
縫合糸をシャーリーに取ってくれるように頼んだリュウイチを、ロマノがちらっと見た。間違いならば怒鳴られるか、器具が飛んでくるかするであろうから、どうやらＯＫのようだ。
他のドクター、たとえばベントンやエリザベスのアシストをすると、丁寧に説明してくれる。だが、ロマノは教えてくれなかった。技術は見て盗めということなのだろうが、他のレジデントにはきちんと教えているらしい。ロケット・ロマノの一番身近にいる自分だけが、その教えを受けられないのだ。リュウイチはそれが不満だった。
しかし、頼んでもむだであることはわかっていた。怒鳴られるのがおちである。
ＳＣＥＮＥ２
「リュウはまだ出勤してきてないの？」
ウィーバーは、ボードをチェックしながら顔をしかめた。
「もう３０分も遅刻よ。何を考えてるの、いったい！……ランディ！リュウに連絡を取って！すぐに来ないとクビだって言ってちょうだい！」
１時間たっても、リュウイチの居所は不明だった。もちろん家には帰っていない。ロマノの話では、１ヶ月ほど家では見かけていないとのことだ。外科とＥＲのかけもちレジデントということで、大忙しのリュウイチは、ほとんど病院の仮眠室で寝泊りしていたらしい。縫合室やラウンジで眠りこけている姿を目撃されてもいる。しかし、今日は病院中どこを探しても、リュウイチはいなかった。
駐車場に車が置きっぱなしのため、遠出したとは思われない。夕べは外科の勤務が１２時過ぎに終わり、朝の７時からＥＲ勤務の予定だった。普段のリュウイチの勤務態度から推し量って、無断欠勤は考えにくい。
「何かの事件に巻き込まれたのかもしれない」
ウィーバーはいらいらとこめかみをもんだ。
「そんな馬鹿な！女とでも一緒にいるんだろう」
「リュウがそんな子だと思うの？ロバート」
「いいや……」
ロマノはくちびるをかみ、足元を見つめた。リュウイチは子どものころ、誘拐されたことがある。誰にも話したことはないが、その事件はロマノのトラウマとなっていた。
「わかった。警察に連絡する」
ＳＣＥＮＥ３
リュウイチが忽然と姿を消してから、４８時間が経過した。警察の捜査もむなしく、何の手がかりも得られていない。病院全体が重苦しい雰囲気に包まれていた。
ロマノはいつも通り勤務をこなし、心配しているそぶりなどおくびにも出さなかったが、人や物にあたる回数が確実に増えている。
午後になって、ロマノはエリザベスと、銃創患者の手術をしていた。
「ドクター・ロマノ！リュウが無事に保護されたそうです！」
はずんだ声がインターフォンから聞こえた。ロマノは一瞬手を止めて目をつむったが、
「あの、馬鹿！どこへ行ってやがったんだ！」
と憎まれ口をたたいた。
「よかったわね！ロバート、あとは私にまかせて。リュウに会ってらっしゃい」
「その必要はない」
エリザベスは眉をひそめた。
『飛んで行きたいくせに。もう！かわいくないんだから！』
ＳＣＥＮＥ４
手術記録を書き終えたロマノがオフィスに戻ると、リュウイチに会う前に会議室に来るようにとメモがあった。
「やあ、ロバート」
部屋には、精神科部長のカール・デラードがいた。その隣にはウィーバーが座っている。
「リュウは命に別状はないんだが……」
「レイプされたのか」
「いいや、そうじゃない。記憶がなくなってるんだ」
「なんだって！」
「後頭部を鈍器で殴られたみたいで、３センチの裂傷と、硬膜下血腫が見られるの」
ウィーバーはレントゲンとＣＴのフィルムを、シャーカステンにはさんだ。
「このくらいなら、オペの必要はないな……いつの記憶が抜け落ちてるんだ？」
「すっかり全部だ」
「…………」
「自分の名前も何もかも。生まれてから今までの記憶一切が無くなってる」
「治るのか？」
「比較的短期間で治ることもあるし、部分的に戻ることもある……一生治らない可能性も無いとは言えない」
「そうか……治療法は？」
「けがが治ったら、勤務に戻る。それが一番いい方法だと思う。リュウは、ドクターとしての知識は失っていないんだ」
「ＥＲに運ばれてＣＴを待ってる間、隣のベッドの患者が急変したら、挿管したの」
「勤務している方が、記憶が戻る可能性が大きいと思う。ただし……」
「なんだ」
「リュウが君の息子で、ここに４年間いるってことは伏せておかないと」
「どうして」
「みんなが自分を知っていて、自分の記憶だけがないっていうのは、とてつもないストレスだ。記憶回復の妨げになるかもしれない。それを避けるために」
「わかった。どうすりゃいいんだ」
「リュウはボストン出身で、名前はリュウイチ・タカミザワ」
「引き取る前の名前か」
「今日からここのＥＲと外科で働く予定で、履歴書から身元がわかったってことになってる」
「親とか家族は」
「ボストンに両親がいることになってる。でもリュウが、心配するからパパとママには連絡しないでくれって。それからロバート、リュウの下宿先はあなたの家」
「おい！」
「当然でしょ」
「わかってるとは思うが、他人のふりをしてくれよ」
「ああ」
「大丈夫よ。全然似てないから」
ＳＣＥＮＥ５
リュウイチはどこかで強盗に遭遇したらしく、頭を殴られ、財布をとられていた。発見されなかったのは、倒れていたリュウイチを、ホームレスが自分のねぐらで介抱してくれたからである。丸１日昏々と眠っていたリュウイチは、目覚めると記憶がすっかり抜け落ちていたらしい。仲間のホームレスがカウンティでリュウイチに治療してもらったことがあったそうで、病院に連れてこられたというわけだった。
ロマノとエリザベスが病室にやって来た。
「ドクター・ロマノだ」
「リュウイチ・タカミザワです。よろしくお願いします」
ふたりは握手をかわした。
「こちらは、ドクター・コーデイ」
「エリザベスでいいわ。どうぞよろしく」
リュウイチは、とてもうれしそうにエリザベスと握手をした。
「あー、君は私の家にしばらく下宿することになってる」
「はい、デラード先生にそううかがいました。お世話になります」
１週間後、リュウイチは退院した。
「ここが君の部屋だ」
「はい、ありがとうございます」
ロマノはゲストルームをリュウイチに使わせることにした。家の中を簡単に案内する。
「先生、ご家族は？」
「そんな面倒なものはいない」
「立派なグランドピアノですね」
「別れた女の置き土産だ。弾きたけりゃ弾いてもいいぞ」
「僕、弾けるのかな……」
リュウイチは何かに吸い寄せられるようにピアノに近づくと、ふたを開けた。いすに座り、しばらくじっと鍵盤を見つめていたが、いきなり弾き始めた。ショパンの『英雄』。プリンス・リュウは失われてはいないようだ。ロマノはそっとドアを閉めて立ち去った。
夕飯はリュウイチが作った。下宿させてもらうせめてものお礼だと言う。できあがったのはビーフ・シチューだった。ひと口食べたロマノの手が止まった。
「お口に合いませんか？」
「いいや……絶品だな」
それはあのシオンのシチューだった。医者としての技術も、ピアノも料理の腕もなにひとつ変わってはいない。ただ記憶だけが失われている。しかし、記憶がないリュウイチは、リュウイチではなかった。
ＳＣＥＮＥ６
次の日、リュウイチは新しいレジデントとして職場に復帰した。いささか面食らいながら、グリーンは笑顔で右手を差し出した。
「初めまして、ドクター・グリーンだ」
「初めまして、リュウイチ・タカミザワです。よろしくお願いします」
「こちらこそよろしく」
「じゃあ、ＥＲを案内するよ。カルテはここ、ボードには患者の名前と主訴と担当者の名前、処置を書くんだ。わかった？」
「はい」
「診察１号、２号、カーテンの１号、２号……けがはもういいの？」
「ありがとうございます。おかげさまでもうすっかり。記憶の方はあいかわらずですけど」
「大変だね」
「ええ、でもくよくよしていてもはじまらないので」
リュウイチがにっこり笑う。
『ＥＲツアーを同じ人間に２度やるなんて、初めてだな』
ＳＣＥＮＥ７
ベントンは手術前の手洗いをしながら、エリザベスに声をかけた。
「リュウのやつ、性格がだいぶ変わったと思わないか？」
「そうね」
「オペのアシストしてても、手技をやらせてくれって、自分から言うんだ」
「私にもよ。ちょっとびっくりしちゃった」
「まあ、あれが普通だけどな」
「ええ、今までがちょっと遠慮しすぎだったから。マークも言ってたわ。ずいぶん積極的になってよかったって」
そのとき勢いよくロマノが入ってきた。続いてリュウイチもやってきたので、ふたりは口をつぐむ。
ロマノはごしごしと手を洗い始めた。
「ロマノ先生、お願いがあるんですが」
「なんだ」
「僕にちゃんと手技を教えてください」
「俺に指図するのか」
「他のレジデントに確かめたんですけれど、僕だけが先生にきちんと教えてもらってないんです」
「指導法に文句をつけるな」
ロマノはにらみつけたが、リュウイチはひるまなかった。
「そんなの不公平です。みんな平等のはずでしょう」
「うるさい！だまれ！」
「ちゃんと指導していただけるまでだまりません。ここはティーチング・ホスピタルなんです。先生には教える義務がある」
ロマノは激しい怒りに我を忘れた。
「馬鹿野郎！俺に刃向かうのか！むす……」
「ロバート！」
エリザベスが叫んだ。
「う……わ、わかった……教えてやる」
「ありがとうございます！」
リュウイチはにこにこしながら、手を洗い始めた。ロマノに横目でにらみつけられているのに、どこ吹く風。けろりとしている。
ベントンとエリザベスはささやきあった。
「すごいな」
「かっこいいわね」
「恋に落ちたか」
「好きになっちゃうかも」
ＳＣＥＮＥ８
ＥＲの受付で、ウィーバーが書類を見ながら眉間にしわをよせていた。
「どうしたの、ケリー。なんかあった？」
グリーンが書類をのぞきこむ。
「シフト表？……僕は嫌だよ。今夜は用事があるんだ」
「何言ってるの」
「いけにえを探してるんじゃないの？夜勤の」
「違います。リュウが自分のシフトに文句をつけてきたのよ。不当に働かされすぎてるって」
「へえ。リュウのシフトはどれ？」
「こっちがＥＲで、こっちが外科」
「どれどれ……これはひどい。文句をつけるのはあたりまえだよ」
「何も言ったことなかったのよ。もう、まったく！この忙しい時に」
「今までよく黙ってたと思うよ。こんなシフト。たぶんリュウは自分がロマノの息子だから、抗議しちゃいけないって我慢してたんだ。そこへ君がつけこんだ」
「つけこんだなんて人聞きが悪いわねえ。リュウには頼みやすいっていうだけよ」
「かわいそうに。今のリュウはロマノの息子じゃないから、やっと言えたんだ」
「じゃあ、あなたが代わってあげればいいじゃない、マーク」
「いやだよ。君の責任なんだから、君が代わるべきだね」
「……マルッチ！ちょっと来て！」
ＳＣＥＮＥ９
「大変！遅くなっちゃった」
エリザベスは急いで帰り支度をして、オフィスを飛び出した。
「エリザベス先生！」
「リュウ！どうしたの？」
「ちょっとお話したいことがあるんですけど」
「５分くらいならいいわ」
リュウイチは、エリザベスの目をまっすぐ見つめた。
「僕……先生のことが好きです」
エリザベスは非常に驚いたので、しばらく口がきけなかった。無意識にバッグのひもを握りしめる。
『リュウ！いったいどうしちゃったの？……あ！』
エリザベスは思い出した。リュウイチは今、リュウイチではない。
「……とってもうれしいんだけど、ごめんなさい。私、マークと付き合ってるの」
ほうっとリュウイチは息を吐き出した。どうやら息を止めていたらしい。
「……やっぱり……そうじゃないかと思ったんです。でも、どうしても言いたかったので」
「……リュウ……」
「いいんです。告白したら、すっきりしました」
にっこり笑うリュウイチを、エリザベスは抱きしめて、ほおにキスをした。
「どうもありがとう、リュウ」
「ごめんなさい、マーク」
エリザベスはＥＲのラウンジに駆け込んだ。
「僕も今あがったとこ」
「よかった」
「じゃあ行こうか」
「ええ」
「何かいいことあった？」
「どうして？」
「すごくうれしそうだから」
「そう？」
ＳＣＥＮＥ１０
リュウイチが記憶を無くしてから、２ヶ月が過ぎた。
「そんなところで何してる」
リュウイチが驚いてふりむく。ロマノは側にやってくると、同じように手すりにもたれて、下を見下ろした。
「何かおもしろいものでも見えるのか」
ふわりとリュウイチはほほえんだ。
「いいえ。屋上に来ると、なんだか落ち着くんです」
「記憶の方はどうだ？」
「まだ全然」
「まあ、あせるな」
「ありがとうございます。でも……」
「どうした」
「……記憶を無くした僕を、両親はどう思うだろうって」
「そりゃまあ、悲しむし、心配するだろうな」
「一生記憶が戻らなくても、僕が僕でなくても、息子として受け入れてくれるでしょうか」
「当然だろう。親ってのはそういうもんだ」
「だって僕自身、自分を受け入れられないのに？」
「君は、君だろう」
「僕は、僕じゃない！どこの誰かもわからない。こんなのは僕じゃないんだ！」
「馬鹿なことを言うな。お前はお前だ」
「ロマノ先生……」
「お前が自分を受け入れられなくても、俺はお前を息子として受け入れてる」
「……息子？」
「そうだ。たとえ記憶をなくしても、性格が変わっても、お前は俺の息子だ」
ロマノは、いきなりリュウイチをぎゅうっと抱きしめた。
突然リュウイチの頭の中に、いろいろな記憶が出現した。それは渦を巻き、やがて波となり、ふくれあがった。そして最大になった瞬間、一気に砕け散ったのである。
「……パパ……」
リュウイチはそのまま気を失った。
「リュウ！おい！しっかりしろ！」
ＳＣＥＮＥ１１
意識が戻ったとき、リュウイチはすっかり記憶を取り戻していた。その代わり、記憶を無くしていた間の記憶が全部抜け落ちていた。ＥＲのベッドでリュウイチが首をひねる。
「俺がここへ運んできてやったことも覚えとらんのか」
「ええ」
「いい気なもんだ。だいたいお前の記憶が戻ったのは、俺のおかげなんだぞ」
「そうなんですか？」
「お前が生意気なことを言うから、ガツンと１発なぐってやったんだ。そのショックで記憶が戻ったというわけだ」
「……ひどい……」
「記憶が戻ったんだ。文句を言うな」
リュウイチの性格も元に戻った。
「ちょっと残念だな。外科医向きの性格だったのに」
「そうかもしれないけど、リュウはリュウのままが一番いい気がするわ、ピーター」
記憶を無くしていた間のリュウイチの行動は、本人には知らされなかったので、ロマノもウィーバーもそ知らぬ顔で、シフトを元に戻してしまった。かくしてリュウイチはまた、多忙な日々を送ることとなった。
リュウイチには、ふたつだけちょっと不思議に思うことがあった。ひとつはロマノが、怒鳴り散らしながらではあるが、手技を教えてくれるようになったこと。
もうひとつは、ときどきエリザベスが、とてもうれしそうにリュウイチのほおにキスをすることだった……。
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_ _)m
今回は、ちょっと変わったお話になりました。もしリュウがロマノの息子じゃなかったらどんな感じだろうってことで。エリザベスはリュウイチの好みのタイプなので、ロマノに遠慮がなければ、告白しちゃうだろうという(笑)
次回はまた書けたらＵＰいたしますので、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m