THE GENTLE DRAGON

 

 

 

SIDE STORY 3  「THE GENTLE DRAGON」

 



SCENE1
 ボストン、マサチューセッツ総合病院のER……。
「おい、ロマノ!診察1号の腹痛患者を頼む」
「はい!」
ロマノは2年目の外科レジデント。今日はERカバーの日だった。

 「ドクター・ロマノです。ええと……シオン・ウエハラさん、どうなさいました?」
「昨日の夜からおなかが痛いんです。最初はみぞおちが痛かったんですが、だんだんこのあたりに痛みが移動して……なにか引っ張られるような感じがするんです」
シオンは手で右の下腹部を押さえた。
「熱は……38,3度……吐き気はありますか?」
「はい、今朝、2度もどしました」
「ここは痛みますか?」
「痛い!」
「なるほど……このあたりは?」
「いいえ」
「検査してみなければ、はっきりしたことは言えませんが、たぶん虫垂炎でしょう」
「ええっ!手術しなきゃいけないんですか?」
シオンは大きく目を見開いた。
『……でかい目だな……』
と思いながら、ロマノは言った。
「検査の結果次第では、そうなるかもしれません。それじゃ、結果が出たらまた来ます」
看護師にてきぱきと指示をして、ロマノは風のように診察室を出て行った。



SCENE2

 「ジョージ・クロフォード26歳。交通事故。胸部と腹部を打撲。血圧112の68、脈拍75」
「俺の合図で移してくれ。1、2、3!」
「肋骨骨折、右側呼吸音減弱」
「酸素飽和度94%、血圧108の65、脈拍73」
「チェスト・チューブを入れる。テンブレードと32フレンチをくれ……クロフォードさん、ドクター・ロマノです。呼吸が楽になるように、胸にチューブを入れますよ…………入った!ソラシール……右上腹部に圧痛と筋性防御……腹腔洗浄セットを……外傷時の血液検査、クロスマッチを4単位、胸部、頚椎四方向の写真……出血してるな……肝臓破裂の疑い……オペ室に連絡!」



SCENE3
 
「ウエハラさん、やはり虫垂炎で、手術が必要です。……ハーバードの大学院生ですか。知らせたいご家族は?」
「いません。私は家族がいないんです」
「……そうですか……」
「私、手術は受けません!」
「あなたの盲腸は化膿している。このままほうっておいたら穴が開き、膿がおなかのなかにたまって、腹膜炎を起こします。そうなったら命にかかわる。早急な手術が必要です」

 「いやです。手術は受けません」
「何か宗教上の理由でも?」
「いいえ、ただ、いやなだけです」
「わからない人だ。手術をしなければあなたは死ぬ。それでもいいんですか?」
「……だって……」

 シオンは突然泣き出した。それも手放しで号泣しているのである。
『やれやれ……こいつ、頭がおかしいんじゃないのか?あ〜あ〜、鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃだぞ……せっかくの美人が台無しだな』
「……こわいんだもん……手術なんて受けたことないし……」
ロマノはあっけにとられた。
「こわいって、いい年……あ、いや、失礼……こわいだなんて、それじゃまるで子どもだ」
「大人だって、こわいものはこわいわ……ヒック……人生経験の少ない子どもより……ヒック……手術に対する恐怖は大きいはずよ……ヒック……なぜなら、子どもの恐怖心というものは……」
シオンは、大人の、手術に対する恐怖心が、子どものそれにまさるということの正当性を、とうとうと述べ始めた。
『なんだなんだ?理屈っぽい女だなあ……へえ……数学者の卵か、どうりで……それにしても、泣くかしゃべるか、どっちかにしたらどうなんだ』

 突然シオンがしゃべるのをやめた。左手でシーツを、右手でロマノの白衣をつかみしめる。
「ウエハラさん?」
「……おなかが……痛い」
「おなかの痛みは、手術をしなければ治りません。こうしている間にも、盲腸が穿孔しているかもしれない。腹膜炎をおこしたら、非常に厄介です」
「……痛い……助けて!」
いきなりシオンは、ロマノにひしと抱きついた。ロマノはよろけてベッドに片手をつく。その瞬間、彼の堪忍袋の緒が切れるどころか、堪忍袋自体が破裂してしまった。
「うるさい!もうわかったから泣くな!助かりたいのなら、手術を受けろ!」
「だって……」
「だってもくそもあるか!俺にまかせろ!俺が助けてやる!死にたくなかったら、手術を受けろ。わかったな!」
ロマノはシオンをぎゅうっと抱きしめた。
「……うん」
「返事は『はい』だ」
「はい」
『くそ、手のかかる女だ……この調子だと、鼻水がたっぷり白衣についてるぞ……やれやれ』



SCENE4
 
「……ウエハラさん……」
「……あ……」
「目が覚めたか?もう少しで盲腸が破裂するところだったが、手術は無事に終わった」
「……シオンでいいわ……ありがとう、ドクター・ロマノ」
「どういたしまして。俺もロバートって呼んでくれ。経過は順調だから、2日で退院だな」
「……私、日本人なの……」
「そうは見えないな」
「ハーフなのよ、たぶん。たぶんっていうのは、私、両親を知らないの。施設の前に置き去りにされてたらしくて……孤児でハーフだなんて、いじめてくれって言ってるようなもんだわ。私、負けなかったけど……せせこましい日本にいやけがさして、18のときにこっちに来た……でも、おんなじだった。今度は日本人ってこと、女だってことで、引けをとらないように、人より一歩でも前に出ようって、人に弱みを見せないようにしてきたわ。でも……病気で気弱になってたところに、手術だって聞いたら、自分は一人ぼっちなんだって、すごく心細くなって……今まで張りつめていたものが、ぷつんと切れちゃったの……」
「……シオン……気にするな。手術を不安に思うのは当然だ……もう眠ったほうがいい……」
「行かないで、ロバート」
シオンは、ロマノの手術着の端をつかんだ。
「あなたは、私の一番かっこ悪いところを見ちゃったんだもの。責任をとって、側にいて」
「わかった」
「私が眠っても、側にいてね」
「ああ、約束する」



SCENE5
 
退院したシオンを送っていったロマノは、懇願されて家に泊まり、それはシオンが完全に治るまで続いた。そして、全快祝いということで、シオンが手料理をふるまい、シャンパンをあけた。
「……うまい!」
「おいしいでしょう。ビーフシチューは得意中の得意なの」
「絶品だな」
「ねえロバート、私たち、これからも一緒に暮らさない?」
「そうだなあ……」
「私、あなたとだと、つっぱっらずに、気負わずに暮らせるの。ねえ、お願い」
「ああ、いいぞ」
「じゃあ、共同生活のルールを言っておくわね」
「ルール?」
「そう。じゃあ、まず、私が数学に没頭しているときは、絶対に話しかけないでね。あなたにけがをさせたくないのよ、ロバート」
「おい、シオン……」

 
 こうしてふたりの生活はスタートした。ロマノは病院勤務が忙しく、不規則なシフトのせいで、家に帰れない日も多い。一方シオンは、大学院で数学のドクターをとるために、寸暇を惜しんで勉強中であった。

 
「ねえ、ロバート。基礎文献を理解するだけでも大変なのに、論文を書けって言うのよ。できるわけないじゃない」
「じゃあやめろ」
「ちょっと、今なんて言った?」
「文句を言うくらいなら、数学なんてやめろって言ったんだ。俺は3日ぶりに帰ってきて、のんびりしようと思ってるのに、愚痴を聞かされたのではたまらんからな」
「数学をやめろですって?数学は私のすべてなのよ。よくそんなことが言えたわね」
「そんなに好きなんだったら、文句を言うな。自分がつじつまがあわないことを言ってることくらい気付け。数学者になるんだろう?」
「ロバート!」

 
シオンは火がついたように怒り出した。記念すべきシオンの初噴火である。そのあまりの激しさに、驚いたロマノは思わずあたりを見回し、避難路を見つけようとしたが、もう遅かった……。まず頭に、数学の教科書が当たった。
「痛い!やめろ!シオン!物を投げるな!あぶないだろう!わあっ!」
今度はマグカップが飛んできた。しかも中身が入ったままである。
「熱い!馬鹿!やけどするじゃないか!」
 シオンは、そのへんにある物を、手当たり次第に投げ続ける。
「……わかった!俺が悪かった!あやまるからもうやめてくれ!すまん!」
あやまるロマノの鼻にりんごが命中し、痛みに目がくらんだ。

 「……ごめんなさいと言って!」
「ごめんなさい」
「ほんとに悪いと思ってる?」
「思ってる」
「ほんとに?」
「ほんとだ」
「じゃあ、この紙に50回『ごめんなさい』って書いて」
「え?」
「書いて」
「50回も書くのか……言うのじゃだめなのか?」
「50回も言ったらうるさいでしょ。書くの?書かないの?」
「書く」
「ていねいにね」
「ああ」
「返事は『はい』でしょ」
「はい」

 ロマノは、心の中で思いつく限りの悪態をつきながら、『ごめんなさい』を書き始めた。紙の上にぽとんとしずくが落ちる。
『あ!鼻血だ。くそっ!シオンのやつ……でも、何で怒ったんだ?……あっという間に爆発したな。俺よりひどいじゃないか……』

 「一番最後に今日の日付とサインを書いて。はい、よく書けました。これは証拠の品として、とっておきますからね」



SCENE6
 「ただいま……シオン、いないのか?」
部屋の電気をつけたロマノは驚いた。シオンが、ひざをかかえてソファーに座っていたのだ。
「どうした、シオン。電気もつけないで」
「おかえりなさい……いろいろ考えてたの」
「いろいろって?」
「将来のこととか……」
「……結婚、か……」
「違うの。私たちの将来じゃなくて、自分の将来。数学者としてやっていけるのかなって……」
「ポストのこと?」
「それもあるけど、それも大きな問題だけど……自分に能力があるのかどうかって……」
「シオンは優秀だと思うぞ。奨学金ももらえてるし、ドクターも早く取れそうだって言ってたじゃないか。それに、日本のどこかの会社が、君の才能を見込んで、留学費用を出してくれてるんだろう?」
「日本の方は、別に審査があったわけじゃないのよ。施設の園長先生の、古い知り合いがやってる会社だから……」
「俺は、自分に能力があるかどうか、考える暇なんてないな。今はただ、目の前にあるやらなきゃならないことを、必死になって片付けていってる状態なんだ。それに、考えるより、眠るほうを俺は選ぶぞ」
「ロバートを見てると、いつも思うの。あなたは毎日、その手で人の命を救ってるわ。世の中の役に立ってる。でも、数学はどう?数学の価値って何?」
「確かに数学で、直接人の命は救えないけど、だからといって、数学が役に立たないとは言えないだろう?……シオン、また食事してないな。俺が何か作ってやる」

 ロマノは、手早くニンニクとタマネギ、ベーコンを炒め、缶詰のトマトを加えてソースを作り、ゆでたてのパスタとあえた。
「おいしい!」
「シオンにはかなわないけど、けっこういけるだろ」
「実は、朝から何も食べてなかったの」
「馬鹿だなあ」
「ごめんね。疲れて帰ってきたのに、作ってもらっちゃって」
「気にするな」
「食べたら元気が出てきたわ」
「よかったな」



SCENE7
 ロマノとシオンが付き合い始めてから、2年がたとうとしていた。

 「ロバート、手を見せて……外科医の手……きれいな指ね……私、指のきれいな男の人って好きだわ……ねえ、あなた子どものころ、泣き虫だったでしょう」
「え?何だいきなり」
「隠したってだめよ。あなたは泣き虫だった。努力でそれを克服したけれど」
「……この間の、ベネチアングラスのゴブレットのことか?何度も言ってるだろう。あれは、どうして俺はこんな理不尽な目にあわなければならないんだと思ったら、情けなくなって、思わず涙が出ただけだ。決して泣いてあやまったわけじゃない」
「ふふふ、そういうことにしておいてあげる。あなたが泣き虫だったに違いないっていうのは、ゴブレットの件とは関係ないわ。根拠は別にいくつもあるの。聞きたい?」
「いいや」
ロマノは即座に断った。自分が泣き虫だという証拠を列挙されるのは、精神衛生上あまりよろしくないことである。
「遠慮しなくてもいいのに」
シオンは残念そうに言った。

 「じゃあいいわ。ともかくあなたは泣き虫ってことを恥じて、それを隠すために硬いうろこを身にまとったの。あなたは龍だわ。西洋の龍じゃなくて、東洋の龍……」
「……俺にもわかる話をしてくれ」
「泣き虫は、やさしさに裏打ちされてるものよ。だからロバート、あなたは本質的にやさしい人なの。ただ、そのやさしさを弱さと勘違いしているあなたは、それを自分で隠してしまっているけれど……。だから、人にはあなたの表側の姿しか見えないわ。龍の姿をしたあなたしか……。硬いうろこの下の本当のあなたに気付く人は、少ないでしょうね……。でも私は、そんなあなたが大好きよ。愛しているわ、ロバート……あら、眠っちゃったのね……おやすみなさい、GENTLE DRAGON……」
シオンはロマノにキスをすると、自分も目を閉じた。



SCENE8
 その日、ERで外傷治療を終え、外科に戻ったロマノは、外科部長に声をかけられた。
「おい、ロマノ、ちょっといいか」
「はい」
「こちらは、ドクター・マクダーモット。」
「はじめまして。レジデントのロバート・ロマノです」
「君がロマノか。学会でボストンに来たついでに、今日ここでオペをやるんだが、君にアシストを頼めるかな」
「はい!光栄です!」


 「よくやった」
「ありがとうございます!」
「コーヒーでもどうだ」
「はい」

 「ロケット」
「?」
「私は、初対面の人間にあだ名をつけるのが趣味なんだ。ロバート・ロケット・ロマノ……なかなかいいじゃないか」
「はあ……」
「ロケット、君は同僚や上司に嫌われているようだな」
「……」
「嫌われる原因としては、まず、口が悪い。次に、性格が悪い。そして、最大の原因は、腕がいいってことだな。できる部下は嫌われる。どうだ、ロケット。有能な上司、つまり私の下で働く気はないか?」
「えっ!」
「君を、うちの病院の外科のスタッフ・ドクターとして雇いたい。今日はそのために来たんだ。オペの前にERものぞかせてもらったぞ」
「スタッフですか?」
「どうした、不満か?」
「いいえ!」
「明日私はボストンを発つ。返事は今日中にここへ電話してくれ。いい返事を待ってるぞ」



SCENE9
 「おかえりなさい、ロバート。どうしたの?こんな時間に」
「シフトを変わってもらったんだ」
「気分でも悪いの?」
「そうじゃない。実は、ドクター・マクダーモットにスカウトされたんだ。スタッフ・ドクターとして雇ってくれるらしい」
「マクダーモットって、あなたがいつか言ってた、ミラクル・マクダーモット?」
「そうだ」
「すごい!もちろん、OKの返事をしたんでしょ?」
「いいやまだだ」
「迷うことないじゃない」
「……病院はシカゴなんだ……シオン、一緒に行ってもらえないかな」
「……ロバート、それは無理よ……せっかく手に入れたポストを、捨てるわけにはいかないわ……」
「そう言うと思った……」

 「……ロバート、別れましょう。そうするしかないわ。一緒にいるためには、どちらかが自分の夢をあきらめなきゃならない。あきらめたほうも、あきらめさせたほうも、いつかきっと後悔するわ。私、そんなのはいやよ」
「……わかった。別れよう」
「ロバート、おめでとう」
「……ありがとう……」



SCENE10
 ロマノがシカゴへ発つ日……。

 「ロバート、いろいろありがとう」
「俺のほうこそありがとう、シオン。元気で」
「ロバートも身体に気をつけてね。……最後にもう一度、ぎゅうっと抱きしめて」

 「じゃあ、また連絡する」
「ロバート、連絡はしないで。そのほうがいいわ」
「……そうだな……」

 去っていくロマノを見送りながら、シオンはつぶやいた。
「ロバートには、いろいろ大切なものをもらったけれど、最高の贈り物はあなただわ……。でも、パパにはもう会わないほうがいいの。パパがあなたのことを知ったら、すべてを投げ出して、飛んで帰ってくるにきまってる。あなたのパパはドラゴンよ。大空を翔るドラゴンを、つなぎとめてはいけないわ……」

 
 


THE END

 

 お読みいただきありがとうございますm(_ _)m
 『GENTLE DRAGON』=(イコール)リュウイチですが、実はロマノも『GENTLE DRAGON』なんですというお話です。リュウイチが『GENTLE DRAGON』であるということは、22話の中で書けたと思うのですが、ロマノの方は書ききれなかったので、サイド・ストーリーにしてみました。

 お正月は新年エピを計画中ですが、もしかしたら年忘れ企画(笑)なんていうのも、あるかもしれません。それまでにもう1話できたら書きたいのですが……。またよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 

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