ＴＨＥ　ＧＥＮＴＬＥ　ＤＲＡＧＯＮ

ＳＩＤＥ　ＳＴＯＲＹ　１３　　「Ａ　ＣＲＡＳＨ　ＣＯＵＲＳＥ」　　

ＳＣＥＮＥ１
　リュウイチを引き取った次の日の朝……。

　ロマノはいつも通り、６時半に目を覚ました。
「……おや？リュウのやつ、もう起きたのか？」
廊下に出ると、ベーコンの焼けるにおいが、ただよっている。急いで階段を下りてキッチンをのぞくと、リュウイチがベーコンをフライパンで炒めていた。
「パパ、おはよう」
「おはよう、リュウ。朝ごはんを作ってくれてるのか」
「うん。卵は何がいい？」
「スクランブルエッグを頼む」
「了解！」
　ロマノは、テーブルにつくと、コーヒーメーカーからマグカップにコーヒーを注ぎ、新聞を広げた。

　「おまちどうさま」
サラダにトースト、卵とベーコンの朝食を、ふたりは向かい合って食べた。
「リュウ、パパがいない間、お前を世話してくれる人を誰か頼むからな」
「僕、ひとりで大丈夫。自分でできるもの」
「そうなのか？」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい。僕、家事は何でもできるんだ。ボストンでも、パパもママも忙しいから、僕が家のことをやってたの」
「本当に大丈夫か？」
「はい」

　「それと、学校に行かなきゃな」
「僕、学校へ行ったことがないんだ」
「……何だって！」
「家でママに教えてもらってたから……」
「ここではそういうわけにはいかんからな……よし、学校の件は、パパが考えておく」



ＳＣＥＮＥ２
　その日の夜、ロマノは７時に帰宅した。
「……家に明かりがついてるってのは、なかなかいいもんだ……」

　「ただいま」
「おかえりなさい！」
リュウイチが飛びつく。

　「……家の中がきれいになってるな」
「掃除したんだよ。けっこうほこりがたまってた」
「今度の休みに、掃除しようと思ってたんだ」

　着替えをするために寝室にいくと、ベッドの上に、きれいに洗った洗濯物が、きちんとたたんで置かれていた。ワイシャツやハンカチには、アイロンまでかかっている。
　「洗濯とアイロンかけもしてくれたんだな。……でも、ワイシャツはクリーニングに出すから、洗わなくてもいいんだぞ」
「家で洗った方が、経済的だよ。僕、アイロンかけるの得意だから」
「確かに上手だな」



ＳＣＥＮＥ３
　夕飯のメインディッシュは、ビーフ・シチューだった。
「……うまい！絶品だな」
「ビーフ・シチューは、ママの得意料理なんだ」
「そう言ってたな……」
「パパが何が好きかわからないし、これならおいしいから、気に入ってもらえるかなと思って……」
「昔付き合ってたころ、シオンがよく作ってくれた。パパの大好物だ。ありがとう」

　『シオン、君のシチューを、また食べることができるとは思ってもみなかった……でも、君は本当に死んでしまったんだな……』
昨日からの思いがけない出来事の連続で、シオンの死についてゆっくり考える余裕がなかったロマノであったが、シチューを食べていると、突然喪失感に襲われた。思わず目頭が熱くなる……。ふと目をやると、リュウイチは、スプーンを握ったまま、口をぎゅっと結び、目に涙をいっぱいためていた。

　ロマノは、はっとした。リュウイチの目がはれぼったいのは、泣いていたからに違いない。ロマノのために、つらいのをがまんして、シオンのシチューを作ってくれたリュウイチの健気さが、胸にこたえた。それに、家中の掃除や、洗濯をしたのも、悲しみをまぎらわすためではなかったのか……。

　「リュウ……こっちにこい」
ロマノは、リュウイチをひざの上で、ぎゅうっと抱きしめた。ロマノにしがみつき、胸に顔をうずめて、リュウイチは泣き出した。
「好きなだけ、泣いていいぞ、リュウ……」
ロマノは天井を見上げた。そうしないと、涙がこぼれ落ちそうだったのである……。



ＳＣＥＮＥ４
　「……パパ、ありがとう……シチューを温めなおしてくるね」

　食事をしながら、リュウイチはぽつり、ぽつりと話し始めた。
「……あの日……学会に出かけるママを、シュウ・パパが飛行場まで送って行ったんだ……シュウ・パパは、ちょうどボストン交響楽団との演奏会をひかえてて……打ち合わせに行かなきゃならないから、ついでに乗せて行ってやるって……センターラインを越えて走ってきた、居眠り運転の大型トラックと正面衝突して……ふたりとも即死だったの……でもね、顔はきれいだったんだよ……まるで眠ってるみたいに……」
「……そうか……」
「……あんまり急だったから……それに、ふたりいっぺんだったし……僕、頭の中がぐちゃぐちゃになっちゃって……お葬式の時は涙がでなかった……でも、シュウ・パパやママの持ち物を整理してたら……涙が止まらなくなって……今も、ちょっと油断すると、涙がでちゃうの……ごめんね……」
「……あやまらなくてもいい。泣きたい時は、泣けばいいんだ。泣かずにがまんしてると、心がこわれてしまうぞ」



ＳＣＥＮＥ５
　次の日曜日、ボストンから荷物が届いた。リュウイチの身の回りの物や、シオンやシュウの遺品で、どうしてもリュウイチが処分できなかった物など。そして、最大の『荷物』は……

　「パパ、弾いてもいい？」
「もちろんだ」
ふたを開けるのももどかしそうに、リュウイチはピアノを弾き始めた。

　『……やけにうまいな……』

　それから３時間、リュウイチはピアノを弾き続けた……。

　「リュウ、ずいぶん上手だな」
「シュウ・パパに教えてもらってたから……。２歳からやってるし……」
「じゃあ、ピアノのレッスンに行かなくちゃな。パパが、教えてくれる人を探してやる」
「ありがとう。でも、いいんだ。レッスンは受けなくても」

　

ＳＣＥＮＥ６
　「リュウ、やっぱり道場へは行かないのか？」
「だって指をけがしたら、ピアノが弾けなくなっちゃうもの」
「……じゃあ、水泳はどうだ？」
「えー、僕、泳げないし……」
「お前、泳げないのか？それはいかん。何かがあって水に落ちた時、どうするんだ。よし、パパが泳ぎを教えてやる」
「……僕、水着持ってないよ……」
「買いに行こう」


　「この花柄なんてどうでしょう？……チェックもかわいいと思うわ……水玉も素敵！……フリルがついてるのが好き？それとも……」
「この子は、男の子なんだ」
「……まあ！失礼しました。あんまりかわいいので、てっきり女の子だとばっかり……男の子用でしたら……男の子用は、あんまりかわいいのがなくて……」
「別に、かわいい水着でなくてもいいんだが……」
　結局、赤と白のストライプのトランクス型の水着、ゴーグルにキャップを購入した。
「……パパ、僕、浮き輪か、ビート板がほしいんだけど」
「大丈夫だ。そんな物を使わんでも、すぐに泳げるようになる」



ＳＣＥＮＥ７
　スポーツクラブの室内温水プール。１．５メートルの飛び込み板の上で、リュウイチは座りこんでいた。
「飛び込め！リュウ！」
「そんな、無茶だよ！僕、泳げないのに！」
「いいから飛び込め！」

　業を煮やしたロマノは、リュウイチを水に放り込んだ。
「わあああ―――――――――っ！」
リュウイチは沈んでいきながら、自分の口から大量の泡が吐き出されるのを見た。

　ロマノは、リュウイチが浮いてくるのを、飛び込み板の上で腕組みをしながら待っていた。人間は、水に必ず浮くようにできている。溺れまいと、本能的に手や足を動かすことによって、泳ぎが習得できる。というのがロマノの持論である。彼自身もかつて子どものころ、そうして泳げるようになった。少々荒っぽいかもしれないが、それがどうした？リュウイチは男の子なのだ。問題は無いはずである……。
「……遅いな……しまった！」
　ロマノは水に飛び込み、プールの底に沈んでいたリュウイチを引き上げた。急いで水からあがり、プールサイドに横たえる。

　「医者を呼びます！」
「私が医者だ！」
ロマノはリュウイチの胸に耳を当てた。次に呼吸を確かめると、安堵のため息をつき、手で顔をつるりとなでた。引き上げたのが早かったため、大事には至らなかったのである。リュウイチは、恐怖のあまり水中で気絶してしまったらしい。

　「おい、リュウ！しっかしりろ！」
ロマノが揺さぶると、リュウイチは意識を取り戻し、わっと泣き出した。
「……ひどいよ！パパ！……僕は全然泳げないのに……死んじゃうかと思った……」
「すまん、悪かった。まさか気絶するなんて思わなかったんだ……」

　「ひどい親ねえ」
「ほんと。児童局に電話してやろうかしら」

　「かわいそうに、あんなにかわいい子を……ひょっとして、養子？だって、全然似てないわ、あの親子」
「かもしれないな。実の子にあんなことは、普通しないだろう」

　あちらこちらから聞こえてくる非難の声と、人々の刺すような視線にいたたまれなくなり、ロマノは泣き続けるリュウイチを抱えあげると、プールをあとにした。



ＳＣＥＮＥ８
　スポーツクラブのティールームで、リュウイチはチョコレート・パフェを食べていた。ロマノの前にはコーヒーカップが置かれている。
「シュウ・パパやママと、プールや海には行かなかったのか？」
「行ったよ。ママは泳ぐの好きだったもん」
「そうだろう。パパもシオンと泳ぎに行ったことがあるからな」
「シュウ・パパはね、耳に水が入って耳が悪くなったりしたら、仕事に差し支えるって言って、水には入らなかったの。でも、ママが泳ぎに行く時は、いつもついて行ってたんだ。ママには『素敵な君が狼に襲われないように、見張るんだ』って言ってたけど、ほんとは『目の保養』なんだって。芸術家には必要なことだとも言ってた……」
「シオンを襲ったりしたら、大変な目に会うぞ……」
「何か言った？パパ」
「いいや。それで、お前はどうしてたんだ？」
「僕も、耳が悪くなるといけないって、シュウ・パパが……だから、小さいころは浅いところで適当に遊んだり、大きくなってからは、もっぱら食べたり飲んだり……」

　ロマノはため息をついた。
「リュウ、お前がいやだというのなら、無理強いはしないが、さっきみたいに水に落ちたら、間違いなくお前は溺れ死ぬな。それでもいいのか？」
「……」
「気をつければ、泳いでも、別に耳は悪くならないぞ。医者のパパが言うんだから間違いない。それに……将来お前に子どもが生まれて、その子が溺れたらどうする？パパは泳げたから、お前を助けることができたがな……」

　「……僕、泳げるようになりたい」
「よし、じゃあ、パパが泳げるようにしてやる」
「……でも……」
「さっきみたいに乱暴なことはしない。約束する」
「よろしくお願いします」
　ロマノはほくそえんだ。リュウイチと暮らし始めて約ひと月、どういうふうに言えば息子が泳ぎを習うことを承知するかは、予測がついた。見事にリュウイチは、それに引っかかったのである。



ＳＣＥＮＥ９
　テーブルの上に、水を張ったボールが置かれている。
「まずは水に顔をつけることからだ。できるだけ長くつけてみろ。よし、始め！……なんだ、たったの８秒か。情けないやつだな。もう１回！」

　水に顔がつけられるようになると、今度はバスルームで特訓が行われた。水着にゴーグル、キャップ着用である。
「いいか、バスタブの中にもぐってみろ……馬鹿っ！それじゃ、風呂に入ってるのとおんなじだろう！頭を湯の中につけるんだ！……１５秒か……もっとがんばれ……なに？耳に水が入った？大丈夫だ。男のくせにそれくらいのことで、いちいち文句を言うな！はかるぞ！……２０秒……もう１回！……２５秒。どうして、５秒ずつしかタイムが伸びないんだ……いくぞ！……４０秒……やればできるじゃないか……もう１回だ……今度はなんだ？寒いだって？うるさいやつだなあ。寒かったら熱い湯を入れればいいだろう。それぐらい自分で考えろ！さっさともぐれ！」

　５分後……。
「またか！お前ってやつは！なんだって？……目が回って吐きそう？……馬鹿！こんな熱い湯に入って……のぼせたんだろう……おい、リュウ！しっかりしろ！……まったく世話の焼けるやつだ」


　
ＳＣＥＮＥ１０
　やがて場所はプールに移り、ロマノの猛特訓のおかげで、３週間後、リュウイチはめでたく泳げるようになった。ところが、泳げるようになったのに、リュウイチは水泳が大嫌いになってしまっていた。なので、ロマノが一緒に泳ごうと誘っても、レポートがあるだのテストがあるだの、なんだかんだと理由をつけて断った。

　それだけでなく、キャッチボールにバスケットにテニス、あらゆる誘いを断るようになってしまったのだ。
『僕ができないって言ったら、きっとまたパパが『特訓』するにきまってる。キャッチボールやバスケットができなくても、死ぬことはないだろうし……それより、パパの特訓で、死んじゃうかもしれないもの……』

　かくして、息子と一緒にスポーツで汗を流すという、ロマノの夢は挫折した。それが自分のスパルタ式の特訓のせいであるということに、彼はまったく気付いていなかった。そのため同じ過ちが、９年後、再び繰り返されることになるのである。また、リュウイチが運動神経がないということに、この時点で気付かなかったのは、ロマノも結局は人の親。息子の能力を客観的に判断することができなかった。つまり親馬鹿であったということにほかならない。

　リュウイチには、赤と白のストライプを見ると、いやな気分になるという、奇妙なトラウマが残った……。

ＴＨＥ　ＥＮＤ

　お読みいただきありがとうございましたm(_ _)m
　
　
　

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