ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ １１ 「Ａ ＴＲＩＡＮＧＬＥ」
ＳＣＥＮＥ１
「ここにいたのか……ずいぶんさがしたよ、イクコ」
「あら、ヨハン」
「『あら、ヨハン』じゃないよ。１１時半に噴水の前で待ち合わせしてただろう」
「そうだったかしら？」
「ひどいなあ」
「ごめんなさいね、ヨハン」
「モニカ、あなたが謝ることないのよ。お天気がよくて気持ちがいいから、外でお昼ごはんを食べましょうって言い出したのは、私なんだから」
「そうだよ、モニカ。君に謝られたら、僕は困ってしまう。いいんだ。イクコのすっぽかしには慣れてるから」
そう言うと、ヨハンは少し寂しそうに笑った。
「はい、じゃあ、おわびに私のお昼を半分あげるわ」
「私のもよかったら……」
「あなたはだめよ、そんなにやせっぽちなんだもの。あんまり丈夫じゃないんだから、しっかり食べなきゃだめ」
「ふたりとも、ありがとう。でも、もう行かなきゃ。１時からレッスンなんだ」
ここは、世界中から音楽家の卵たちが集まってくる、ウィーン音楽大学のキャンパス。ヨハンはドイツ、イクコは日本、モニカはアメリカからの留学生で、ピアノ科の学生である。３人は、同期の中でも、将来を有望視されていた。ひとかどのピアニストになるであろうと、評価されていたのである。
ヨハンは、その高い演奏技術が抜きん出ていたし、イクコの情熱あふれるピアノは、聴く者を感動させてやまなかった。そしてモニカのように、神々しいまでに澄み切った音を出せる者は、他に誰もいなかったのである。３人とも、それぞれに秀でたところがあって、順番はつけられなかった。ピアノに関してはちょうど正三角形のような間柄にあった３人であるが、人間関係においては、また、違っていた。
ヨハンとモニカ、イクコとモニカは友人関係にあり、ヨハンとイクコは恋人同士であった。しかし、ヨハンとイクコの距離よりも、イクコとモニカの距離の方がずっと近く、このことがヨハンの悩みの種となっていた。イクコがいつもモニカとくっついているのは、正直なところ、気にくわなかったのだが、以前冗談めかして、
「僕とモニカとどっちが大切なんだ？」
とイクコに聞いたら、
「モニカに決まってるでしょ」
とあっさり言われ、それだけでもとてもショックだったのに、さらにイクコは
「私とモニカが仲良しなことに嫉妬してるの？それって、『僕は自分に自信がありません』って言ってるようなものだわ」
と言い放ったのである。それ以来、ヨハンはやきもちを焼いていることを、表に出さないようにしている。
また、モニカは気の毒がって、いつも気を使ってくれる。その様子が何だか痛々しいのも、ヨハンが自分の嫉妬心を隠す理由のひとつなのだ。
ＳＣＥＮＥ２
「モニカ、夏休み、あなたどうするの？」
「もちろん、寮に残るわよ。だって私には帰る家がないんだもの」
モニカの両親はすでに亡くなっていて、モニカはアメリカの家を処分し、留学の費用にあてていたのである。
「あ、そうじゃなくて、どこかに旅行するとか何か計画してる？」
「それはまだよ」
「じゃあ、日本に来ない？お兄ちゃんもきっと大歓迎よ」
「そうねえ」
「そうしなさいよ。ねっ！」
「じゃあ、そうさせてもらおうかしら……」
「これで決まり！」
イクコは、４つ年上の兄のヨウゾウのことが大好きだった。いわゆるブラザー・コンプレックスというやつである。何かというと、『お兄ちゃんが……』というのが彼女の口癖で、ヨハンはそれを聞くたびに
『僕は３番目だ……』
と、いつも心を暗くしていた。
イクコは、モニカにもヨウゾウの話をよくしていたが、それが友人の心の中に、会ったこともない兄に対する好意を芽生えさせ、育む原因になっていようとは、夢にも思わなかった。
『あのとき、モニカを日本に連れて行かなければよかった……』
これはイクコが生涯を通して、何千回、何万回も思ったことである。しかし、そこは神ならぬ身の悲しさ……夏休み、少々複雑な思いで見送るヨハンに、イクコもモニカも笑顔で手を振って、元気よく出かけて行ったのだった。
ＳＣＥＮＥ３
ひとりで日本から戻ってきたイクコに理由を聞いて、ヨハンは驚愕した。
「まさか！あのモニカが……。信じられない」
「大学はやめるんですって。アメリカに帰って、子どもを産むって言ってたわ」
「ピアノはどうするんだろう」
「夢はあきらめないそうよ」
「……よかった……やめるには惜しいもの……」
「大丈夫？イクコ」
「何が？」
「いや……あの、そのう……モニカがいなくなっちゃって……」
『モニカとヨウゾウに裏切られて』とはヨハンはとても言えなかったのだが、イクコはすぐにわかったようであった。
「大丈夫じゃないわ。大好きなモニカとお兄ちゃんに裏切られたんだもの。最初は大ショックだったわよ。でもね、だんだん日にちがたつと……大事に育ててた花を手折られたような気分になって……あ、花っていうのはモニカのことね……モニカより、お兄ちゃんに対して、私怒ってた……お兄ちゃんたらね、奥さんとモニカを平等に愛しているんだ。だから、いわゆる不倫とは違うって言うのよ。そんなことできるわけがないじゃない。自分の都合のいいことばっかり言うんだから……モニカは、すまなそうに、でもきっぱりと私に、お兄ちゃんを愛してるって言ったわ。彼女があんなに芯の強い子だとは思わなかった……恋が人を変えたのか、それとも私が今まで気付かなかっただけなのかしら……モニカがお兄ちゃんと別れてからは、もうモニカには全然腹はたたなくなったわ。だって、彼女は、お兄ちゃんの家庭のことと、私のことを思って別れたんだと思うから……これ以上私を苦しめないようにって……でも、お兄ちゃんは、そんなモニカの気持ちなんか全然わかってなくて、生まれてくる子がヤクザの子ではかわいそうとかなんとかモニカが言ったらしくて、それを真に受けてるんだから……ヤクザがいやだったら、最初からお兄ちゃんなんかと付き合わないわよ……まったく！男って馬鹿なんだから！……モニカのことをそんな子だと思ってるなんて、許せないわ！」
『おや？１番はお兄ちゃんで、２番がモニカかと思っていたら、その逆なのか？それとも、愛が深い分憎しみも深いのか……わからないけど、意外な展開で、僕がトップに躍り出た……のかな？』
ＳＣＥＮＥ４
手紙を読んでいたイクコの顔色が変わった。
「……まさか……」
「どうしたの？イクコ」
ヨハンは、ぼう然としているイクコを揺さぶった。
「イクコ！イクコ！いったいどうしたんだ？」
「……モニカが亡くなったって……」
「えっ！どうして？」
「産後の肥立ちがよくなかったらしくて……彼女もともとあんまり丈夫じゃなかったから……」
「その手紙日本から？」
「ええ、お兄ちゃんからよ」
「モニカはアメリカで子どもを産んだんだろう？どうして、別れたお兄さんが知らせてきたんだ？」
「……お兄ちゃんは、モニカのことが心配で、組の者をアメリカにやって、陰ながら見守ってたみたい」
「なるほど……赤ん坊は？」
「女の子で、お兄ちゃんが引き取ったんですって。でも、モニカの遺志を尊重して、自分の手元にはおかないで、知り合いの経営している施設で育ててもらうらしいわ…………モニカが……モニカが死んじゃっただなんて……信じられない……私、そんなのいやだわ！」
イクコは号泣し始めた。ヨハンはイクコをやさしく抱きしめる……。
ＳＣＥＮＥ５
「ねえ、イクコ。僕と結婚してほしいんだ。そして、モニカの子どもを引き取ってふたりで育てよう。そうすれば、彼女もきっと喜ぶよ」
「……ヨハン、ありがとう。あなたのそういうやさしいところ、私大好きよ。でも……それはできないわ」
「どうして？」
「モニカは赤ちゃんのせいで命を落としたのよ。その子を育てるなんて……愛するなんて、私には絶対できないわ。ひどい女だって思うかもしれないけど……」
「……イクコ……」
「結局、お兄ちゃんがモニカを殺したのよ。私、一生、お兄ちゃんを許さない！」
「ヨハン、ごめんなさい。私あなたと結婚できないの」
「そんな！」
「あなたとだけじゃない。誰ともずっと結婚しないわ」
「どうして……」
「私だけ幸せになるわけにはいかないもの……モニカはたった２３で死んじゃったのよ……私、絶対一流のピアニストになってみせる。モニカの果たせなかった夢を、私がかなえるの」
「僕はいったいどうなるんだ」
「あなたみたいにいい人には、私よりずっとふさわしい人が、きっとどこかにいるはずよ」
「僕は、君が好きなんだ！君じゃないとだめなんだよ！」
「ごめんなさい、ヨハン。今までありがとう……」
ＳＣＥＮＥ６
イクコは退学して、アメリカへ渡った。傷心のヨハンは、これもまた大学をやめ、ドイツに戻った。
月日が流れて二人が再会したとき、ひとりは一流のピアニストになっていたが、もうひとりはそうではなかった。彼はもう、『ヨハン』と呼ばれてはいなかったのである。
人々はみんな、彼のことをこう呼んだ……。
「カイザー・クローゼ」
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
『ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ』のＥＰＩＳＯＤＥ６で、カイザー・クローゼがもともとピアニストなので、リュウイチが半年ドイツでカイザーのレッスンを受けるというのを以前書いてまして、それがこのストーリーのきっかけになったという……。いやあ、なんでも書いておくものです(爆)カイザーの年齢は『たまたま』ヨウゾウの３歳下に設定していました……。カイザーのファーストネーム『ヨハン』はＥＰＩＳＯＤＥ４と６で１回ずつ出てくるのですが、みなさま覚えておいでだったでしょうか。覚えていてくださらない方が、私としては都合がよかったり(笑)ヨハンがなぜ、『カイザー』になったのかは、またいつか別のお話で(^^)
さて、次回は「Ａ ＣＲＡＤＬＥ」です。どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m