ＴＨＥ ＧＥＮＴＬＥ ＤＲＡＧＯＮ
ＳＩＤＥ ＳＴＯＲＹ １０ 「ＴＨＥ ＣＨＡＭＢＥＲ ＯＦ ＳＥＣＲＥＴＳ」
ＳＣＥＮＥ１
「リュウ、調子はど……なんだ？その顔は」
「？」
「鏡を見てみろ」
「うわっ！」
リュウイチの鼻の頭は黒く塗られ、左右の頬にはひげが３本ずつ描かれている。
「そうやってると、まるでネコだな」
ロマノは笑いながら、カルテに目を通した。
「……順調だ。いいか、昨日のように、１時間も馬鹿みたいにピアノを弾くんじゃないぞ」
「うん」
「返事は『はい』だ」
「はい」
「いったい誰がこんなこと……」
「小児科に入院してる誰かのしわざだろう……昼寝をしている間に、描かれたんだな。気付かずに眠りこけてたお前もお前だ」
リュウイチはラッセル・ハンドフォードに背中をボウガンで撃たれ、入院中であった。
ＳＣＥＮＥ２
次の日の午後、リュウイチの病室のドアが音もなく開き、ふたりの男の子が、眠っているリュウイチに近づいた。手にはひもを持っている。リュウイチの髪の毛をひもで結び、もう一方の端を、ベッドにくくりつけようという魂胆なのだ。
「うわっ！」
「冷たい！」
寝たふりをしていたリュウイチが、水鉄砲の要領で、注射器に入れた水をふたりの顔にかけたのである。
「なにすんだよ！」
「ぬれちゃったじゃないか！」
「昨日は、僕の顔にひげを描いてくれてどうもありがとう」
リュウイチはにっこり笑った。
「僕はリュウイチ。リュウって呼んでね。歳は１０歳」
「俺はジャック、１１歳。腎臓病で入院してる」
「俺はサム、１１歳。糖尿病だ。俺たちはちょくちょく入院するから、ここでは顔なんだぜ。お前は何で入院してるんだ？」
「……ボウガンで背中を撃たれたんだ」
「へええ！そりゃすげえや、なあジャック」
「わかった、だから個室なんだな。だいたい、事件関係者は個室なんだ。警察やマスコミが来るから、大部屋だと、同室の患者に迷惑がかかるだろ。それと、病院関係者の子どもは個室が多い」
『……僕は両方だ……』
「リュウ、お前、搬送係のバリー・ヒギンズって知ってる？」
「おい、サム。お前おしゃべりだなあ」
「いいじゃないか。リュウ、秘密守れるだろ？」
「うん」
「バリーは、安置所の死体を食ってるっていう噂があるんだ」
「……うそ……」
「それを俺たちは確かめようと思ってる」
「どうやって？」
「やつが安置所でひとりになったところで、そっと忍び込むんだ。リュウも一緒に行くか？」
「行かない」
「こわいんだろう」
「うん、こわい」
「お前なあ……男があっさり『こわい』なんて言うなよ」
「だってこわいんだもの」
「お前って変なやつだなあ」
ＳＣＥＮＥ３
「リュウ、具合はどう？」
「よう、リュウ。元気そうだな」
「パティ！ラリー！」
パティとラリーは大学の同級生である。
「お見舞いに来てくれて、ありがとう」
「具合はどうだ？」
「順調だってパパが言ってた。あと２週間くらいで退院できるの。でも、まだ２、３日は部屋にいなきゃいけないから、とっても退屈」
「３週間の入院ですんで、ほんとによかったわ……」
パティはリュウイチをそっと抱きしめて、キスをした。ラリーも無言でリュウイチを抱きしめ、キスをする……。
「リュウ、退屈なんだったら、数学を勉強するっていうのはどうだ？」
ラリーはリュックから、ノートを取り出した。
「ちょっと、ラリー！」
「だって……」
「カフェテリアで、チョコレート・パフェをおごってくれる？」
「もちろんだ。ほうらみろ。リュウはやっぱりいいやつだなあ。それに、パティだって聞きたいだろう？」
「まあね……でも、ほんとに大丈夫なの？リュウ」
「うん」
「じゃあ、話は決まり」
ラリーは、ひょいとリュウイチを抱き上げた。
ＳＣＥＮＥ４
カフェテリアで、リュウイチはチョコレート・パフェを食べながら、ラリーのノートに目を通していた。
「じゃあ始めるね……」
リュウイチが、ノートの内容を説明し始める。
「以上でおしまい」
「ありがとう……どうして、授業に出てないリュウがわかって、出席してる俺たちがわからないんだ。やっぱり頭の構造が違うんだな」
「ありがとう。よくわかったわ。ウィリアムズ先生も、これくらいわかりやすく説明してくれればいいのにね」
「なぜ、あんな難解な授業をするんだろうな。俺たち３人以外は誰もついてこれてないだろう」
「３人って……正確には、リュウだけよ。私とあなたはリュウに教えてもらってるんだから」
「でも、他のやつらはリュウに教えてもらってもわからないんだから、俺とパティはやっぱり優秀なんだ。伊達に２番と３番じゃない」
「１番とかなり差が開いてる２番と３番でも？」
「しょうがないよ。リュウが優秀すぎるんだ」
「そんな……僕はママに小さいときから仕込まれたから……動物の芸と一緒だよ」
「リュウ、いつも言ってるだろう。謙遜するなって」
「そうよ。１０歳で大学の３年生。それも、卒業に必要な単位の都合でそうなっただけで、数学の実力は大学院生レベルって人が、『動物の芸と一緒』ってことはないでしょう」
「ねえ、リュウ、あなた本当に数学者にならないの？」
「うん。僕、外科医になりたいんだ」
「まあ、お前が数学者にならなければ、確実にひとつ就職口が増えるから、俺には好都合なんだが……惜しいなあ」
「パパに、外科医になれって言われたとか？」
「ううん。パパは僕が外科医になるつもりだなんて、夢にも思ってないよ」
「パパに話してないのね。でもどうして？」
「僕、パパみたいに強くないんだ。弱虫で泣き虫だから……外科医になれるかどうか……」
「あっ！でも、『熊ちゃん』はどうするんだ？」
「ほんとだわ。リュウ、モーリス先生に話してないんでしょ。数学者にならないって」
「うん……」
「怒るぞ、熊ちゃん……」
「絶対に怒るわ。だって、リュウに初めて会ったあと、先生が研究室で踊りまくって、これは気が狂ったなってみんな思ったんですって。『すごいやつを見つけたぞ！』とか『さすがはシオンだ！』とか叫んでたらしいんだけど、シオンってリュウのママの名前でしょ？」
「うん。でも僕、数学者になるなんて一言も言ってないのに……」
「そんなこと、熊ちゃんには通用しないさ。あの人は思い込みが激しいんだから……。怒った熊ちゃんに、バラバラにされないように気をつけろよ」
「おどかさないでよ」
「でもいつだったか、レポートがすばらしかったって、感激した熊ちゃんに抱きしめられて、２、３日お前胸が痛いって言ってたじゃないか」
「……どうしよう……」
ＳＣＥＮＥ５
リュウイチの病室に、サムとジャックが駆け込んできた。
「やったぞ！」
「噂はやっぱり本当だった！」
「まさか！」
「バリーのやつが、死体の腹のあたりをさわってたから、ジャックがわざと音を立てたんだ。そしたらやつがこんな感じで振り向いて……口から、血がぽたぽた垂れてた。間違いないよ」
「証拠写真もちゃんと撮った。今度見せてやるからな」
その時、看護婦が検温にやってきた。
「やばい」
「じゃあ、またな」
『死体を食べてたってほんとかなあ……。でも、うそをついてるようには見えなかったし……ふたりが見たんだから、錯覚ってこともないよな……あっ！……もしも、もしも、バリーさんが血を吐いてたんだとしたら？サムもジャックも、食べてるとこを見たわけじゃない。血がしたたってるのを見ただけなんだ。……きっとそうだ！バリーさんは血を吐いてたんだ……血を吐く病気って、パパがこの間言ってた。何だっけ？……食道……静脈……瘤の破裂！……お酒を飲みすぎて、肝臓を痛めた人がよくなる病気で……出血を早く止めないと命取りになるって……あれかもしれない……大変だ！』
ＳＣＥＮＥ６
リュウイチは、遺体安置所に続く部屋にやってきた。安置所の場所は、以前病院を探検していて、偶然発見していたので知っていたのだ。部屋のドアを開けて、そっと中に入る。と、その時、口のまわりを血だらけにしたバリーが、リュウイチに突然つかみかかってきた。悲鳴をあげて後ずさったリュウイチの背中にドアが当たる。ドアは内開きなので、この状態では開けられない。バリーの指先がリュウイチのほおに触れた。
「助けて！」
叫びながらリュウイチは横っ飛びにバリーをかわし、そのまま、奥、つまり安置所の方向へ逃げた。後ろでどすんという音がしたので振り返ってみると、バリーがドアの前に横倒しになっていた。
「バリーさん？」
声をかけたが反応がない。気を失っているようだ。着衣の前がおびただしい血で、真っ赤に染まっている。
「大変だ。早く誰かに知らせなきゃ。……くそっ！ドアが開かないぞ」
巨漢のバリーがドアにくっついて倒れていたため、ドアが開かなくなっていたのだ。しかも部屋は奥まったところにあるため、大声で怒鳴っても誰にも聞こえない。
「よし、電話だ！」
その部屋には電話はなかったので、リュウイチは安置所に駆け込んだ。
「あった！……あれ？変だぞ。発信音がしない……あっ！」
受話器は血まみれで、コードが引きちぎられていた。
「電話で助けを呼ぼうとしたときに、また血を吐いて、苦しくて引きちぎったのかもしれないな……。電話は使えない。どうしよう……」
リュウイチはドアのところに戻った。バリーをなんとか動かしてドアを開け、助けを呼びに行く。それしか方法はなかった。リュウイチは、バリーの腕を両手でつかみ、渾身の力を込めて引っ張った。背中から胸にかけて激痛が走る。それでもリュウイチは、力をゆるめなかった。３センチくらい、バリーが動いた。いったん力をゆるめて呼吸を整え、再びリュウイチは引っ張った。
５分ほどかかって、やっとリュウイチが通れるくらいドアが開いた。ドアをすり抜けて、リュウイチは走った。息が苦しくて、胸が痛かったが、かまわずに全速力で走ったのである。廊下のはずれで、看護士に出会った。
「遺体安置所で、バリーさんが倒れてます！すごくたくさん血を吐いたんです……」
「なんだって！……おい、坊や！大丈夫か？おい、しっかりしろ！」
『苦しい……息ができない……』
ＳＣＥＮＥ７
「無茶をしてはいかんと、あれほど言っただろう！」
「ごめんなさい……」
ロマノは病室で、リュウイチを怒鳴りつけた。
「中で出血していたら、またオペをしなけりゃならないところだったんだぞ！パパは一生懸命がんばってお前を助けたのに！どうしておとなしくしていられない！なんで遺体安置所へなんか行ったんだ！」
「……」
リュウイチは沈黙した。安置所へ行った理由を話すには、サムとジャックのことに触れないわけにはいかず、秘密にするという約束を破ることになってしまう。
この日、ロマノはＥＲから回された交通事故の外傷患者の手術をしたが、長時間のオペのかいもなく、救うことができなかった。何かに怒りをぶつけたい気分だったのである。リュウイチが自分の言いつけを守らず無茶をし、もう少しで手術室へ逆戻りになるところだったことに加えて、いつもは素直なリュウイチが、安置所へ行った理由をがんとして言わないことが、ロマノの怒りに拍車をかけた。
「もう一度聞く。なぜ、安置所へ行ったんだ？」
「……」
「言えないのか！」
「……」
「言いつけは守らない。聞いたことにも答えない。そんなことじゃ、もうパパはお前を信用できないな。信用できないやつとは一緒に暮らせない！」
リュウイチはびっくりして、ロマノを見つめた。
「いいか、わかったな！もう、俺はお前のパパじゃない！」
「……パパ……」
「聞こえなかったのか？俺はもうお前のパパをやめたんだ！」
頭に血が上っていたロマノは、さらに言った。
「お前のようなやつを引き取らなければよかった！」
リュウイチの目から涙がこぼれ落ちた。言った瞬間しまったと思ったロマノであったが、もう取り返しはつかなかった。心にじわじわと広がる後悔に、何も言わずに泣いているリュウイチの姿が、追い打ちをかける。自分に腹を立てながら、ロマノはいたたまれなくなって、乱暴にドアを開けて病室を出た。
ＳＣＥＮＥ８
ロマノは廊下で、看護婦に呼び止められた。
「ロマノ先生……さあ、あなたたち、先生にちゃんとお話しなさい」
看護婦にうながされて、サムが口を開いた。
「俺とジャックは、バリーが死体を食べてるっていう噂を確かめるために、遺体安置所へ行ったんだ。リュウを誘ったんだけど、あいつはこわいからいやだって……」
「口から血を垂らしたバリーを見て、俺たちはやつが死体を食ってたと思って、証拠写真を撮って帰ってきたんだけど、まさか、病気だとは思わなかった。たぶんリュウは俺たちが報告したときに、バリーが病気で血を吐いてるってことに気がついたんだと思う」
「いくら聞いても、リュウはどうして安置所へ行ったのか言わないって、看護婦さんから聞いたから……リュウは、俺たちとの秘密だぞって約束を守って言わないんだ」
「……そうだったのか……話してくれて、ありがとう」
ＳＣＥＮＥ９
病室の入り口でかなりためらった後、意を決してロマノは中に入った。リュウイチは、まだ泣いている。
「……リュウ、お前が友達との約束を守って、安置所へ行った理由を言わなかったってことはよくわかった……ひどいことを言ってしまって、本当にすまない……パパが悪かった……今日は、交通事故の患者のオペがあって……助けようと思ってがんばったのに、だめだった……ついお前にやつあたりして、心にもないことを言ってしまった……お前はパパの宝物だ…………パパはあやまるのがあんまり得意じゃない……このくらいで許してくれ……」
「……パパ、僕のほうこそ……ごめんなさい……」
リュウイチはしゃくりあげながらそう言うと、ロマノにしがみついた。ロマノは、やさしくリュウイチを抱きしめる。
「お前はバリーの命を助けたんだ。よくやった、リュウ……」
ＳＣＥＮＥ１０
無理がたたったのか、夜から熱が出て次の日も下がらず、リュウイチはベッドでうつらうつらしていた。
「リュウ！調子はどうだ？」
大声にびっくりしてリュウイチが目を開けると、シカゴ大学の数学科の教授、『熊ちゃん』ことステファン・モーリスが、にこにこしながらベッドのわきのいすに座っていた。
「君がボウガンで撃たれたって聞いたときは、非常に驚いた。死んでしまうのではないかと、ずいぶん心配したんだぞ。リュウ、助かって本当によかったな……」
感極まったモーリスは、リュウイチを思い切り抱きしめた。げふげふと、リュウイチがせきをする。
「あ、失礼。大丈夫か？」
「……はい、大丈夫です……先生、お見舞いに来てくださって、どうもありがとうございます。ご心配をおかけして、すみませんでした」
ＳＣＥＮＥ１１
「なに！肋骨にひびが入っただと？いったいどうしたんだ」
「モーリス先生に抱きしめられたときに、なっちゃったみたい。でも１本だけだし、ちょっとだから」
「痛むか？」
「痛み止めをうってもらったから平気」
『モーリス先生っていうのは、たしか数学者だったな。シオンだけかと思ったが、もしかすると、数学者ってのはみんな乱暴なのか？……』
ＴＨＥ ＥＮＤ
お読みいただきありがとうございましたm(_
_)m
次回は「Ａ ＴＲＩＡＮＧＬＥ」です。そのあとは、「Ａ ＣＲＡＤＬＥ」、「Ａ ＣＲＡＳＨ ＣＯＵＲＳＥ」というふうになる予定です。また、どうぞよろしくお願いいたしますm(_
_)m